古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

木陰での出来事(omnibus#1)

 私の友人の話をしましょう。

 彼女は私が中学校の時からの友だちです。とても明るく快活で、本当にすぐに人と打ち解けることのできる良い子でした。人と話すのが苦手で陰気な私にもすぐ話しかけてくれました。中学を卒業してから学校も進路も別々になりましたが、それでもなぜかずっと仲良くしてくれています。彼女は私にとって太陽のような存在です。といっても、私の命を支配するような強烈な光ではなく、落ち込んでいる時に肩にそっと手を置いて、生きる元気をくれるようなささやかな希望の光です。思春期の頃の私は本当に自分に自信がなくて、文字通りいつも下を向いているような子でした。そんな私の良いところを見つけてくれたのが彼女です。彼女が話しかけ、励ましてくれなければ、私は一生下を向いていたでしょう。彼女自身は、その明るさが美しいほどでした。いつも笑顔を湛えた頬はりんごのように赤く、きれいに揃った歯は輝いていました。少しぽっちゃりした顔に大きな黒い目。スポーツが得意で中学の頃は陸上部に入っていたのを覚えています。彼女と一緒にたくさん走りました。夜中の校舎にいるのが見つかって逃げ出したり、赤信号になりそうな横断歩道を全速力で渡ったり。怒られることもいっぱいしました。体育館の屋根の上に登ったり、ゲームセンターでこっそりお酒を飲んだり……もう二度と体験できないでしょう。

 彼女のことを思い出すとき、なぜかいつも食べ物のにおいがします。真夏の夜のバーベキュー、お祭りの屋台、家族で行く焼き肉屋、ショッピングモールのフードコート。それはきっと私が育った地方の雰囲気そのものでしょう。記憶の中で、ワックスとカビ臭い学校の廊下にいる彼女が見えるのに、なぜかそこには油と煙に満ちた食べ物のにおいがするのです。小さい頃は嫌いで仕方なかった地域の文化も、彼女と一緒にいると楽しいと思えました。それでも私は高校を卒業してからずっと東京に住んでいます。彼女がいなければ、地方の生活にはやはり耐えられなかったのでしょう。彼女は、地方によくありがちな少し乱れた若者であり、浅薄で選り好みしない趣味の持ち主、何より友だちを大事にする人でした。その中で、もちろん恋もきちんと経験するわけです。彼女は自分と同じように明るく楽しい人を好きになります。10代の頃は1年ごとに恋人が替わり、この地域の早婚に倣って、23歳で結婚しました。けれど、たくさんいた彼女の恋人の中で一人だけ、なぜ彼女が選んだのか分からない人がいます。

 彼と私の友人の話をすることにします。

 それも私と彼女と同じ中学に通っていた子でした。彼はトニと呼ばれていました。トニと彼女と私は、1年生の時に同じクラスでした。3人で一緒にいることはついになかったけれど、それぞれ仲良くしていたと思います。私が住んでいた駅前はそれなりに裕福な家庭が多かった一方で、彼女とトニが住んでいた線路の向こう側は工場労働者のエリアでした。生きることに命をかけているような彼女に比べて、トニは何かを諦めたようなところが言動の端々に見られました。2年生になってもトニとは同じクラスでしたが、1年の時の担任の先生が彼を心配して私に様子を聞いてきたことがあります。きっと担任には、トニがいつ死んでもおかしくない子くらいに見えていたのでしょう。非常に無気力であることと自殺することとは決して同じではないのに。トニも他の子と同じように、毎日部活に行って、勉強もある程度頑張り、友だちとよく遊んでいました。そういえば、彼も私の友人と同じ陸上部でした。

 トニと私の友人が付き合っていたのは私たちが高3の時です。私は大学受験、2人は就職と、精神がすり減る時期でした。いえ、本当のところは、精神がすり減っていたのは私だけで、2人はそんなに大変なことは何もなかったと彼女から聞いています。彼らはとてもありきたりな楽しそうなカップルだったようです。放課後は毎日のように一緒に帰り、休みの日には映画に行き、夜道を抱き合って帰るような。けれどトニが彼女を好きだと言うことは一度もありませんでした。それが私には不思議でなりません。どんな人でも彼女を好きになります。確かに典型的な女性としての魅力には欠けるでしょうが、あんなに明るく元気をくれるような人を私は他に見たことがありません。私の友人が彼に付き合ってほしいと言った時、トニはただ「君と一緒にいると楽しい」と曖昧な返事をしただけでした。別に彼女もそれで満足したわけではありません。彼が自分を好きになるように努力しました。おとなしい子が好きなのかと思って、彼の隣ではあまりしゃべりすぎないようにしてみたり、髪の長い子が好きなのかもしれないと、夏だけど髪を切るのを我慢してみたり。誰にでも通じる(と私は思っている)彼女の魅力が、どうやらトニにはあまり通用しないのです。トニは彼女を鬱陶しがったりはしません。彼女がそばに来ても嫌がりません。でも、本当に彼女を好きだとは言わないのです。彼女が痺れを切らして、どうして好きでもないのに付き合っているのと尋ねると、浅黒い頬に温かい笑みを浮かべて「楽しいから」と。私には2人がどうして1年近くも一緒にいられたのか分かりません。確かに一度くらいは自分が損をすると分かっていて恋愛をしてもいいのでしょう。けれどその相手がトニ?小学生の頃から知っているけど、私の友人が惹かれるほど魅力的には思えない。彼女よりもっと地味な女の子で、彼をとても好きになってしまった女の子がいたことはあります。結局その子も振り向いてもらえずに終わってしまいましたが。でも私の友人は人気者です。なぜ?

 先ほど私はもうずっと地元に戻っていないと言いましたが、時々実家に用があって帰ることはあります。そんな時は、彼女をはじめとした数少ない幼なじみたちに会います。そしてその度に、離れていた時間の大きさを思い知るのです。今から5年ほど前、10年ぶりにトニと再会しました。彼女の結婚式でも見かけなかったのに、地域で一番大きなモールの映画館で偶然再会したのです。私の見た目は中学生の頃からだいぶ変わっているはずなのに、トニはすぐ気づいてくれました。トニはと言えば、あまり変わっていませんでした。彼の白い歯が真っ先に目に飛び込んできたのを覚えています。私はぎこちなく笑っていた、と思います。もう彼女は結婚しているというのに、過去をいつまでも引きずっていたのでしょうか。トニはまるで休日を挟んで月曜日に学校で会ったクラスメイトのように何のためらいもなく話しかけてきました。私にはそれが嬉しかった。地元の友だちとの距離が、仕方ないものだと分かっていても、実はとてもつらく感じられていたのです。トニと連絡先を交換している時、ある思い出が心に浮かびました。席が隣同士だったときのことです。授業中に彼が制服のポケットから何かをこっそり出して私に見せてきます。「スマホ、持ってきちゃった」。大変と勝手に慌てる私を見て、トニは笑って「嘘だよ、これはカバーだけ」とからかってみせました。そんなクラスメイトとの他愛ないやり取りをいつまでも覚えているのは、その頃から友だちが少なかったせいかもしれません。東京へ帰った後もトニとのやり取りは続きました。それから時々二人で会っては、くだらないおしゃべりで盛り上がっていました。そんな関係が数か月続いたある日、彼女が子どもを産んだのでお祝いに行くことになりました。彼女に似て、赤い頬でよく笑う男の子でした。知らない人ばかりなのに、泣きもせず抱かれています。すやすやと眠る顔はとても愛らしかった。自分も子どもが欲しいと思ってしまうほど楽しい時間でした。あまり遅くならないうちに帰ろうと彼女のマンションを出ると、道をこちらへ歩いてくる小柄な人影が目に入りました。だんだん近づいてくる人影は、知っている顔だと気づきました。トニでした。

 あの時のことは今でも後悔しています。周りが見えていないのは中学生のときから変わっていないと。彼女と赤ちゃんに会えたのが嬉しかった私は、ついトニを彼女に会わせたくなりました。彼が結婚式にも来ていなかったことを忘れたとでも言うのでしょうか。その時トニがちょっと顔をこわばらせていたのに気づかなかったのでしょうか。そんなはずはないのに。2人が会えばきっと打ち解けると思ったのか、連絡もしていないから今日はやめようと言う彼を、私は少々強引に連れて行こうとしました。と、突然、エントランスの自動ドアが開く音がして私たちはそちらを振り返りました。ドアの手前には、子どもを抱いた彼女が立っていました。まだ3月で少し肌寒い日でした。

「リサ何してるの?トニ、久しぶりだね」

「あやか、出産おめでとう。なんのお祝いもないんだけど。それと遅れちゃったけど、結婚おめでとう」

「知ってたんだ。結婚式にも来てくれないで。私には二度と会わないつもりなんだと思ってた」

「ごめんよ」

「元気してた?もう何年も会ってないよね」

「うん。でもずっとこの辺に住んでたよ。あのさ、また改めてお祝いしに来てもいいかな?」

「………ううん」

「えっ、だめなの?」

「そう。トニはもう来ないで」

「どうして」

「私がいやだから。それだけ」

しばらく間があって、寒いからもう戻ると彼女は言いました。

「リサ、今日は来てくれてありがとうね。またおいで」

子どもを片手に抱き、空いた片手で私を抱きしめて、彼女は家に戻っていきました。その時私は気づいたのです。彼女は声をかける前から私たちの様子をずっと見ていたのかもしれないと。

 これが5年前の話です。それから、私は気まずくなってトニとは会わなくなりました。聞くところによれば、その後トニは地元を離れたそうです。そして彼女とも、これまでの関係とは変わってしまった。いえ、本当は私が気づいていなかっただけで、関係はずっと前に変わっていたのかもしれません。彼女の秘密の想いをようやく私も共有できるようになったのか、それとも私が気づいたことで何かが終わってしまったのか。どちらも合っている気がするけど、どちらも違うような気もする。それでも、彼女と会うのをやめるという選択肢は私にはないのです。

 

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José Malhoa(1855-1933) 《O Ciúme》(1923)より

中学生の時の思い出をもとに書きました。