古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

灼熱の神殿(omnibus#2)

 私の父は音楽家の加納晴毅(せいき)だ。地元の名士の家系に生まれ、祖父は実業家、父親は生物学者だった。幼少期から様々な分野で優れた能力を示すが、とりわけピアノの腕は際立っていた。小学校に上がるとチェロも習い始める。毎日レッスンを受けているにもかかわらず、学校では成績優秀、のみならず気さくで誰とでも打ち解けられた。学校の吹奏クラブでも指揮を担当していた。しかし、そんなのびのびとした子供時代もあっという間に終わりを迎える。ピアノ教師の強い勧めで14歳のときアメリカの音楽院に留学する。かの地では素晴らしい教授陣から教えを受け、国際コンクールで次々と入賞を果たすようになる。そして19歳でのチャイコフスキー・コンクール優勝。その記者会見の場で突然、演奏活動の休止を宣言した。ピアニストとして安定したキャリアを歩み出した矢先のことだった。一部ではケガや難病説が囁かれた。実際、会見の直後に彼は姿を消した。活動休止の件は家族や教師にも伝えていなかったため、失踪、あるいは自殺という説は濃厚だった。音楽界は若き天才を失った。絶望が日本中を、世界中を襲った。しかし人々の悲しみをあざ笑うかのように新しいスターが次々と誕生する。かつて熱狂的に彼のコンサートに出没していたファンたちも早々に喪を終えた。誰もが彼のことを忘れ去った頃、伝統ある楽譜出版社に不審な電話が入った。電話口には男がいた。自分はかつてピアニストとして活躍していた加納という者だ、新曲を持っているからぜひそちらで出版させてほしい、と。あまりにも唐突な報せ、しかも相手の素性も分からない。社内では不審すぎると警戒する声も上がったが、もし本当ならとてつもないスクープだ。もちろん作品の質は知れない。だが必ず話題になる。このチャンスを逃すわけにはいかない。早速、電話の男との会合がセッティングされた。ホテルの一室に現れたのは、なんと2年前に消えた日本人ピアニストだった。そこからの動きは迅速だった。作曲家が加納であることは機密情報とした上で、社が懇意にしている批評家らに楽譜の写しを送り、彼らのアドバイスに従ってオーケストラを選定、新人の曲ということで返答は芳しくなかったが、高額のギャラを提示してなんとか練習を始めさせた。宣伝にも大金を積み、ようやく半年後、初演に漕ぎつけた。指揮台に上がったのは、作曲家《Cano》であった。およそ3年前、彼は長年温めていた構想に着手すべく、ある知り合いの元で作曲の勉強を始めた。それは加納のために何度もピアノ曲を書き、彼が最も信頼していた作曲家だった。そうして完成した交響曲は、ロマン派の再来と呼ばれた。伝統的な楽器に精通した彼は、陳腐とも取られかねない形式の中で美しい作品を作った。現代音楽ではなく、むしろ現代人が心の底から求める音楽を。しかしそれは単なる追従ではなく一抹の皮肉も込めた、知性派の彼らしい音楽であった。華々しいデビューを用意した出版社は、当然のごとくCanoと5年間の独占契約を結んだ。それからは働き詰めの日々だった。まだ作曲家として日が浅いにもかかわらず、実験も思索も許されないほど逼迫したスケジュールで新曲を発表した。その合間に指揮活動、演奏活動の依頼も舞い込んだ。今でもピアニスト加納の姿を追い求める人々がいたのだ。こうした仕事の一つひとつを完璧に仕上げるには、才能と情熱だけでは足りなかった。彼に作曲の手ほどきをした作曲家をはじめとして、これまで出会ってきた数々の音楽家仲間が陰で支えてくれたのだ。コンサート会場や楽器の融通はもちろんのこと、創作の悩みを聞き、社が用意したマネージャーとの間に立って交渉し、なるべく加納が負担なく仕事できるよう動いた。皆が彼の音楽を愛していたのだ。そうして5年の契約を乗り切った後、彼は婚約を発表した。相手は音楽院時代に知り合った日本人ヴァイオリニストだった。

「沙紀は、ピアニストとしての、そして作曲家としての、僕の成長を一番間近で見てくれました。両親や先生よりも、僕の弱さを分かっているかもしれません。そして、つらい時に励まし合った大切な仲間でもあります。彼女がそばにいて、一緒に音楽を作ってくれることは、僕の人生の一番の喜びです。」

仲の良い友人たちだけを招いた披露宴でのスピーチは、謙虚で素直な彼らしい言葉だった。良き伴侶を得たCanoは、作曲家として安定したキャリアを重ねていく。専属契約の間はクラシック音楽の作曲しか許されなかったが、フリーになってからは歌手とのコラボや舞台演出、映画音楽にも挑戦した。ジャンルごとに才能を使い分けることができる、と業界では引っ張りだこになった。やがて二人の息子も生まれ、加納夫婦は拠点を日本に置くことを決意した。まだ30代の若さにもかかわらず。帰国後のCanoは子供向けコンサートを定期的に開催し、音楽界以外での知名度も上がっていった。褒章も賜った。国際的な名声よりも、最も身近な人々が楽しんでくれる音楽を作りたい——彼のポリシーは音楽家を志す若者たちの憧れになった。抜きん出た才能と弛まぬ努力によって溢れんばかりの名声を手に入れながらも、それらを遙かに凌駕する人徳を持ち合わせた芸術家。それが私の父だ。

 そしてこの私、加納朋毅(ともき)は、Canoの2人いる息子のうちの長男だ。次男の晴巳(はるみ)は歌手として父と同じ音楽の道を進んだ。才能や人気は父に及ばないが、クラシックに限らず多彩なジャンルで活躍するため、安易に比較されることなく仕事を楽しんでいる。しかし、私は4人家族の中で一人だけ、音楽の道を選ばなかった。別に音楽が嫌いだとか、トラウマだとか、そういうことではない。もちろん、生まれた時から音楽を浴びて続けていたから、飽きていないと言えば嘘になる。それでも、学校に行く前から合唱団で歌っていたので声には結構自身があるし、ピアノも人並み以上には弾ける。音楽を楽しんで生きてきた。ただ、ずば抜けた才能と情熱がなかっただけなのだ。私は7年ほど前から眼科医として大学病院で働いている。なぜ音楽家の息子が医者になど?私たち家族を知る者なら訝しんだだろうが、誰も直接聞いてはこなかった。才能ある親を持つ子どもの苦悩はよく理解されていたのだ。私はむしろ聞いてほしいと思った。記憶力が良く、頭の回転も早い。単純に勉強が得意だったからだ。いつのことだったか、塾の先生に医学部を狙えると言われた。なるほど、医者か。医者は絶対に必要な仕事だ。働く理由がはっきりしている仕事は新鮮だった。ピアノを触らない時間が増えても、両親は何も言わなかった。私大ではあったが医学部に現役で合格し、今ではこの学校を職場にしている。他人から勧められたコースを選びなんとなく生きている私を、父は優しく見守ってくれるが、母はきっと不満に感じていることだろう。幼いころ母にピアノのレッスンをつけてもらっていたとき、私が間違えると彼女は無意識にため息をついていた。静かな室内で母と2人きり、私は母の苛立ちをすぐに感じ取ってしまった。その恐怖でミスは減ったが、そもそも母にとって間違えないことは最低条件であり、平坦な弾き方をするともっと深いため息をついていた。間違えてもいいから、この一曲を通してお母さんに何かを伝えてみなさい。母にはよくそう言われていた。何がだめなのかは分かっていたけれど、どうすればいいのか分からなかった。そうして私のピアノはますます不安と困惑を深めていく。

 そんな暮らしを送り続け、30歳のときに私は結婚した。相手は、父が懇意にしているアートマネジメント会社の社員だった。彼女、麻里子とは、父が関わる音楽イベントのパーティーで出会った。一目ぼれだった。私の職場の女性たちは、誰もが安定した将来を狙ってぎらついていた。しかし彼女は違った。知的で淑やか、そして優しい女性だった。この業界で働いているというだけで優秀には違いないのだが、振る舞いにも知性を感じさせた。有能であることに奢るどころか、自信や誇りさえ見せない物腰の低さがあった。しかし単に卑屈なのとは違う、相手の目線に立つ謙虚さだった。どこか父に似ているかもしれない。麻里子と出会う前は、同じ職場の女性との短期間の交際を繰り返していた。しかし身を固める時期が近づくと、同僚も女性たちも軽はずみな付き合いはしなくなった。1人でいる時間が増えて寂しかったのかもしれない。出会って数時間なのに、気づけば食事の約束を交わしていた。その後の展開は、夢でも見ているのかと思うほど急速に進んでいった。私は彼女に夢中になった。会えば会うほど、彼女の美しさに魅了され、彼女の優しさを独占したくなった。そして出会ってから半年後、私たちは婚約した。なぜ彼女は承諾したのか。披露宴では、父の知り合いや彼女の上司、クライアントなど、音楽界の重鎮や著名な文化人らが集まり、私たちを祝福してくれた。彼女にはふさわしい式だったろう。

「素晴らしい女性である麻里子が、私のような人間と一緒にいることを許してくれる、これほど幸運なことがあるでしょうか。図らずも彼女との出会いを用意してくれたわが父、そして彼女を愛する特権を与えてくれた他ならぬ麻里子本人に、最大限の愛を込めて。」

なんて卑屈な奴だろう。けれどこれが私だ。このようにしか生きられないし、そんな私を選んでくれた妻は永遠の謎だ。いや、謎だと思いたかった。彼女は加納晴毅の、敬愛する音楽家の最も近くで働くために、その息子と愛のない結婚をした。それだけのことだ。でなければ、私が盗み見ているこの部屋で、いま起こっていることをどう説明すればいい?

♬♬♬

 あれは私が初めて職場に自分の部屋を持った日のことだ。お祝いにたくさんの友だちが来てくれた。そして夜になって麻里子もやってきた。美しい花束を持って。廊下を優しく叩くパンプスの音が近づいてくる。3回ノックの音がした後、ドアがスライドする瞬間は永遠に思えた。引き戸を2/3ほど開けて、伏せた目を上げる麻里子。片手に数本の椿を抱え、急ぐ様子もなく私の部屋に入ってきた。

「おめでとう。遅くなってごめんなさいね。」

「おつかれさま——すごい花束だな、誰もそんなに立派なものは持って来なかったよ。」

「きれいでしょう?」

「……君もね。」

彼女はおどけた笑みを浮かべ、そのまま私の横を通り過ぎて、余った花瓶に花を活けた。そして出窓の窓枠に置かれた花たちを整えはじめた。大きく背の高い花束は窓側へ、小さな鉢花は内側へ。重なってしまった花同士を広げ、全てに日が当たるようにする。彼女の腕が当たりいくつかの花びらが窓枠に落ちたが、茎の上に残った花たちは彼女に触れられて一層艶やかになるようだった。

「きれいだよね。みんな気を遣って持ってきてくれたんだ。」

「おめでたい日だもの、当然よ。」

「本当に、信じられないよ。こんな僕でも自分の部屋がもらえるなんてね。」

彼女はちょっと困ったように首を傾げながら笑う。

「そうなの?ともきさんはとても優秀だって、いつも同僚の方たちから聞いているけれど。」

彼女はいつの間に見つけたのか、クローゼットから私の上着を取り出している。私が脱いだ白衣を受け取り、代わりに私の背後から上着を着せる。

 帰りは彼女の車で帰った。長く使っているがとても清潔に保っている。麻里子は運転がうまい。少しスピードを落として話し始める。今日はクライアントの自宅に行ったのだけど、その周りにとても良い商店街があってね、珈琲豆を売っているお店を見つけたの。試飲させてもらって、美味しかった豆を買ってきたから、明日挽いてみてくれる?それとね、そのクライアントもたまたま珈琲が好きな人だったのよ、だから少し頂いてきたけれど…少し雑味が多かった。いつもあなたのを飲んでいるから、さっぱりしていないと美味しく感じられないの——とめどないおしゃべりの波に飲まれていく。さっきまでもやもやとしていたことが、彼女の滑らかな声と車の心地よい振動に流されていくようだった。30分も経たず家に着いた。私は先に降り彼女の方のドアを開けた。彼女はちらっと私を見上げて微笑み、おもむろに車を降りた。1階のベランダと駐車場を仕切る植木の側面がきれいに平らに揃えられていた。エントランスのウィンドウもいつもより曇りなく磨かれているように見えた。廊下の白い壁面が上向きに等間隔で設置されたオレンジの照明で染められる。茶色の扉のエレベーターはいつもより石油くさかった。いつの間にか入り込んだ蛾を避けた拍子に、彼女のイヤリングが落ちた。すかさず拾って右耳につけてやる。常に笑みを絶やさない彼女が恥ずかしさに顔を歪める。麻里子は決して私のものになどならない。彼女の首はグレープフルーツの匂いがする。貪るほど酸っぱく切ない想いをする。その度に私は後悔したが、どうしてもやめられなかった。私が愛すれば愛するほど、彼女の美しさは他の男たちに振り向けられるかのようだった。彼女を閉じ込め、折檻したかった。何度も考えた。彼女を支配する条件は揃っている。なぜやらないのか。私にできたのは、ただ、彼女の前から逃亡することだけだった。

♬♬♬

 それは結婚して3年ほど経った頃のことだった。麻里子が急に私との距離を縮めるようになった。人前ではもちろんのこと、家で二人きりの時でさえ側に寄ってくるようになった。不可解だった。そもそも互いに落ち着いた付き合いを望んでいたため、傍から見れば冷淡にさえ映るほど穏やかな関係だった。二人とも責任ある仕事を持ち、休みの日が被ることもあまりない。食卓を共にする機会は数えるほどしかなかった。もちろん寝室も別だ。それでも夫婦でいられたのは、ひとえに相性が良いからだろうと思っていた。二人とも面倒事を好まず、プライベートに過剰な期待を持たなかった。それなのに、彼女は子どもが欲しいと言った。私もできれば子どもは欲しかった。けれど、いまの私たちに本当に家庭が作れるのか?自信はなかった。

 急に麻里子は甲斐甲斐しい妻になった。どんなに忙しくても朝食だけは必ず彼女が作り一緒に食べるようになった。焼き魚に味噌汁、蒸し野菜サラダ、アサイーボウルといった健康料理、パンケーキやきのこスープ、パエリアといった手のかかるものまで、なんでも作った。開放的なカウンターキッチンは、バルコニーへ通じる大きなガラス戸から朝日が差し込むダイニングとつながっている。色とりどりのタイルが貼られた調味料棚、彼女が毎日掃除して新品同然に保たれたシンク、鉄製の鍋やフライパンは父のフランス土産のドアノブに掛けられ、食器棚にはレースのカーテンが吊るされていた。籐でできた野菜籠には、彼女が直接契約した農家のじゃがいもや人参、キャベツやネギが常に入っていた。キッチンの脇に開けられた小窓に干している布巾はこまめに縫い直して手入れされたものだ。ダイニングテーブルはマホガニー製の大きめのものだ。人を呼んで食事をするときのために選んだ。椅子はアアルト・デザインのものを数種類選んだ。麻里子は座面が高いスツールが気に入っていた。彼女の食卓はいつも草花に満ちていた。カスミソウやラッパ水仙、ヒヤシンスの花束や、薔薇の一輪挿し、バルコニーで育てたマーガレット。食事と同じように常に違うものが活けられていた。

 ある素晴らしい休みの日の朝、大きく開け放たれた窓からの風で目が覚めた。前日の夜、疲れてリビングのソファで寝てしまったのだ。もうかなり日が昇っている。少し強いが心地よい程度の風で洗濯物がはためく。タオルを物干し竿に掛ける麻里子は、強い光に包まれてそのまま溶け出してしまいそうに見えた。普段の微笑みはないが、眠っている時のように穏やかな表情をしていた。籠から衣類を取り出す度に、彼女の華奢な肩からグレーのワンピースのストラップが落ちたが、構わず無心に作業を続ける。普段はすっきりまとめられた黒髪が顔にかかり、その間からかすかに睫毛が見える。髪は風に乗って遊び、私のところまで香りを運んでくる。洗剤の匂いと混じりあって、私はいてもたってもいられなくなった。

♬♬♬

 麻里子と私は結婚してから二人で暮らしていたが、私たちのマンションから近かったこともあり、しばしば私の実家を訪れた。高級住宅街の中でも目立つ打放しコンクリートのキューブ。正面の壁面上部には細長い採光窓が開いている。玄関を入ると吹き抜けになっており、エントランス全体に光が届く。私たち家族は地下にある2つの防音室で練習や作曲を行う。母は数年前からイギリスの楽団でコンミスをしているため、この家にはいま父と弟だけだ。母が日本にいた時はcanoのマネジメントは夫婦で協力して行っていたが、今では麻里子が専属アシスタントとなっている。しかも彼女の会社の仕事ではなく、身内としてである。彼女にとって職場、加納邸、自宅を行き来する生活が始まった。

 その日は母が休暇でイギリスから帰ってくる日だった。夜には家族で食事に行くことにしていた。麻里子は父との相談もあって先に実家に到着していた。私も仕事を早上がりして向かった。家に入る前からかすかに楽器の音が聞こえる。玄関ホールで靴とコートを脱ぐ。どうやら右手の廊下から流れているようだ。と、いきなり音が途切れる。小休止に続いて第2楽章が始まる。遠くからでも精確さに刻まれていることが分かる明瞭なピアノの音。私はこの音が好きで結婚したのかもしれない。チェロは優しく端正に主旋律をさらってゆく。シューベルトだ。低音部に優しく支えられたヴァイオリンはきらびやかに唄う。もっとよく聞きたくて廊下を進み出して思わず立ち止まった。廊下の壁に取り付けられた縦長の鏡に父と麻里子が映っていた。母は奥にいるのだろう。曲は大きく盛り上がって一旦止まる。2人はまるで何十年も一緒にいたかのように、目線を交わしていた。ピアノの屋根の向こう側に、麻里子の顔が小さく見える。真剣そうに眉をひそめるが、瞳は興奮で輝いている。頬や首元はかすかに上気している。私には一度も見せたことのない高揚だった。息が詰まる。3人の音は完全な調和を作り出し、私の体に襲いかかった。押しつぶされそうになった私は、音を立てないように鏡に背を向けて再び玄関へ向かった。

 それから間もなく再び実家に立ち寄る機会があった。用事が済むと迷わずあの廊下の鏡を見に行った。誰もいないと分かっていても、周囲を窺ってから覗き込んだ。当然のことながらそこには何も映っていない。それを確認すると、空っぽな客間に入りピアノの鍵盤蓋を開ける。譜面台にはあの時のピアノ・トリオの楽譜が残っていた。耳について離れないあの旋律を片手で弾く。そのうちに左手も動き出し一人で伴奏まで弾いてしまう。有名すぎる第2楽章、プライヴェートで演奏するには少し退屈かもしれない。何かの演奏会のために練習していたのだろうか?そうであってほしい。けれど、あれほどぴったり合わせられるなんて、普段から一緒に演奏していなければできないことだ。雑念が入り込んだ私の演奏はテンポ・ルバートも度が過ぎるほど。上限も下限もなく強弱が跳ね回る。深呼吸、姿勢を正し、集中して音の粒を揃えるが、音は震え、ねちっこい残響となる。打ち消しても現れるおぞましい幻影のせいで、次第にタッチが強くなっていく。

 そしてあの日、再び客間からピアノの音が聞こえた。しかし1人ではない、たしかに2人分鳴っている。最初は父の姿が見えず戸惑った。ピアノの屋根と父が着ている黒いスモックが重なってよく見えなかったのだ。私は今回も鏡から目を背けたが、音からは逃れられなかった。もはや自力で立つことができなくて、壁にもたれながら2人に見えないところまで足を引きずっていき、息を殺して聞いていた。ずっしりした父の音の上で、麻里子の明快な音がはずむ。しっとりしたワルツをコケティッシュに、きびきびとしたアレグロを軽薄なほどあっさりと弾いてみせる。信じられなかった。神々の戯れかと思われるほど喜びに満ちた音色が家中に響き渡る。私の両足はすぐにでも足を踏み入れられるはずの小部屋から拒まれた。2人の姿を想像すると内臓を抉られるようだった。何より、あの顔を、恍惚に浸った麻里子を思い浮かべることが——冷たい壁に頬をぴったりと当てると私の動悸は静まり、2人の天上の音楽は心地良い圧迫によって体のこわばりを解いていった。いつまでも聞いていたい気持ちを封じ込め、私は玄関までそっと歩み寄り、泥棒のようにこの家を出た。

 その日は自宅に帰ることができなかった。

♬♬♬

 それから1週間、私は相変わらず職場に泊まっていたが、麻里子から連絡はなかった。色々な理由が考えられたが、どれも気が重くなるものばかりだった。とにかく麻里子と顔を合わせたくなくて家を出てきてしまったが、さすがに連絡はするべきだと思い直し電話をかけた。不規則な仕事のため麻里子の電話が繋がらないことは少なくなかったが、3日以上出ないことは初めてだった。仕事中も電話が来ないか気にしてしまう。麻里子が今どこで何をしているのか、誰とどんな話をしているのか、自分のことをどう思っているのか、考えては眠れない夜が続いた。意を決して、2週間ぶりに自宅へ帰ると、彼女の荷物がなくなっていた。カーテンがぴったりと閉められて家具だけが残された薄暗い部屋は不気味だった。不安を打ち消すために彼女の行方の手がかりを探した。引き出しの紙類や戸棚に収納された小物を全て出し、クローゼットに残った服を調べた。あらゆる扉を開けて隅々まで探し、ベッドをひっくり返した。シーツからかすかに彼女の匂いがした。それでも何も見つからなかった。

 気力が途絶えてダイニングテーブルの上に寝そべっていると、固定電話が鳴った。この電話にかけてくる人など、ほとんどいないはずなのに。受話器を取ると父の声がした。

「麻里子はさぞ父さんを喜ばせているだろうね」

気づくと嫌味を言っていた。

「ともき、なぜ麻里子さんが出て行ったか分かるか」

「僕にはもったいない妻だったからでしょう」

短い沈黙。

「彼女は失望したんだ、一度として正面から自分を見てくれない夫に」

「やめてください!自分の過ちなど分かっています。それでも、彼女を愛したかった……」

長らく流していなかった涙が顔中を濡らす。鼻水も涙も口に入ってくる。妻の名もうまく呼べないほどに。板張りの床を掻きむしって爪が割れる。絶対に手に入らないと分かっていても、そばにいてほしかった。理由などない、ただ愛おしいからだ。夕方の薄明りに染まる部屋の中で、小さな顔がちらりと振り返り、走り去っていく姿が見える。この腕からすり抜けても、私は残像をいつまでも抱いているだろう。そんなに微笑みかけてほしくなかった。退屈そうな顔で、不満を漏らし、罵ってほしかった。だが今はもう、父のものになってしまった。父への憎しみが溢れ出す。私の感情の対象ではない、別の世界の生き物だと思い込もうとしてきた。それは欺瞞だった。私の思考、行動、人生には常に父が割り込んで阻んできた。そして愛さえも。

 ヘリンボーンの床に散らばったグラスの欠片が私の足元で砕け散った。

♬♬♬

 ウィーンのプラ―タ―公園、新婚旅行で歩いたところだ。8年前も夏に来て暑かったことを覚えている。いつもおとなしい麻里子がこの時ははしゃいでいた。道を歩くだけで楽しそうだった。そう、この道だ。アイスクリームを食べながら、あっちの池を見てみようと話していた。すいすい泳ぐカメを見つめながら池の周りを歩いていると、彼女がコーヒーを持ってやってきた。こっちがミルク入り。差し出してきたのは母だった。

「長旅だったでしょう。ともきがこっちに来てくれるなんて珍しいから嬉しいわ」

「久しぶりに休みが取れたからね」

「楽しんでいってね。悪いんだけど、明日ロンドンへ戻らないといけないの」

母は当地で開催されたワークショップのため、一時的に滞在しているのだった。せいきさんは元気?最近あまり電話できていなかったの。前に電話した時は夏バテ気味だったから、なんだか心配。そうそう、この前はるみがウィーンに来てたのよ。あの子、公演の途中でお腹壊したらしいわ、いつまでたっても自己管理が甘いわね。ともきも体調には気をつけなさいよ。麻里子さんが出て行ってから大したもの食べてないでしょう。麻里子さんと言えば、彼女この前仕事でロンドンに来ていたから、食事に付き合ってもらったの。ほんとはもっとしゃべりたかったのだけど——

「あら、麻里子さん」

母のつぶやきに振り返ると、観覧車の方へ向かっていく日本人女性が見えた。髪は短く、髪色は明るくなっているが、あの後ろ姿はたしかに……母を置いてとっさに彼女の方へ走り出す。何か月ぶりだろう。懐かしさに胸が詰まった。日本では結局会えずじまいだった。伝えたいことがたくさんある。観覧車の下の土産物店の入り口で追いついた。声をかける前に腕を触ってしまった。本物かどうか自信がなかったのだ。女性はびくっとして首だけ回してこちらを見る。やはり、麻里子だ。目を大きく見開いたまま表情が固まる。きっと私もそんな顔をしているのだろう。彼女はちょっと躓きながら身体をこちらへ向け直し私の目を見上げる。彼女の小さな鼓動を感じる。耳元に甘い香りが漂う。次の瞬間、強い閃光と轟音を感じ、視界が真っ暗になる。もう離さない。遠くから甲高い母の声が聞こえる。

 

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Frederic Leighton(1830-96)《Flaming June》(1895) より

楽家とセレブの話をしたくて『のだめカンタービレ』とらららクラシックのテンションで書き始めましたが、だんだん夫婦の話もしたくなり『やさしい女』や『他人の顔』の主人公のモノローグっぽいメロドラマになり、最後のオチのつけ方が分からなくて『第三の男』と『欲望の曖昧な対象』になってしまいました。ピアノトリオはもちろん『バリー・リンドン』で使われた第2番第2楽章、連弾はブラームスのワルツです。ショパンバルカローレも意識しながら書きました。