古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

ネオンと雨と牛乳瓶 Breakfast on Plutoを見て

プルートで朝食を』Breakfast on Pluto(2005)

監督:ニール・ジョーダン Neil Jordan

主演:キリアン・マーフィー Cillian Murphy


【あらすじ】

1970年代、イギリスからの独立の嵐が吹き荒れていた時代のアイルランド、アルスター地方付近の小さな町で一人の男の子が生まれた。司教の家の前に捨てられた少年・パトリックは、心優しい女性とその娘の家に引き取られた。父も母も知らない少年は、母親に対する強い憧憬の念を抱くようになる。胸に喪失感を秘めた彼はメイクやファッションに興味を持ち、学校や家庭で「男の子」としての教育を受けながらも好きなことを追い求め、周囲の少年たちから浮いた存在になる。そんなパトリックに親友3人が寄り添い続ける。

アイルランドとイギリスの紛争が激しくなり、パトリックの日常にも独立運動の影が忍び寄る。”serious”な社会に耐えられなくなった彼は、自分でつけた名前「聖キトゥン」だけを持って、母親を探す旅に出る。

ロンドンに出たキトゥンは、職を転々として時に逮捕されたり客に襲われたりしながらその日暮らしの生活を続けていたが、ついに本当の母親と再会する。しかし彼が真に求めていたのは母ではなかった…運命に翻弄されながらも愛を求めて生きるキトゥンの物語。


【キトゥンとその性】

男として生まれ、パトリックという名前をつけられ、男性のステレオタイプを押し付けられながらも、彼は自分のアイデンティティーを自分でつかみ取っていく。養母の靴を履き義姉のワンピースを着るのも、マスカラとリップを女の子並みに操るのも、バンドマンに恋をするのも、ぜんぶ彼自身のものである。若者たちは(少年たちは)独立を求めて武装蜂起する世の中で、キトゥンは時代の流れに乗ることができない。暴力をきらい、seriousな雰囲気をきらい、かんたんに他人を信じ身をゆだねるキトゥン。まだ見ぬ母親を探し求めて、メイクをしながら美しかったという母の面影と自分を重ね合わせ、父親の愛を求めて、年上の男性に惹かれていく。キトゥンの性は明らかに失った両親に規定されている。既存のジェンダーにも。それは性に限らず、アイルランド人であることについても同様だ。同じ町で育った親友、同じ国で生きる仲間は大切だけど、国家という箱や独立には興味がない。大義の前に人々が倒れていくことに耐えられない。しかしあくまでも彼はアイルランド人で、イギリスに行けば必然的に「政治的」だと見なされる。

そうした社会の枠組みに縛られながらも、笑って生きていこうとする。「キトゥン」kitten(子猫ちゃん)とはそういうふうにつけた名前なのだ。キトゥンはたしかに既存のジェンダーに規定されている。彼を女性的だというのはたやすいが、人がこうありたいと思えば何のレッテルも貼られずにそう生きられるのが本当だ。彼の属性はGI(ジェンダーアイデンティティー)と呼べるものだろう。そうではありながらも、その人格はジェンダーの側面だけに閉じ込められるものではない。彼の物語は美しいが、それは彼が人生を「物語」にしたからだ。「そうしなければ生きていけなかったから」。みんながキトゥンのように親友に恵まれるわけでも、物語を描けるわけでもない。ジェンダーという檻がなければ生きれた人も大勢いるだろう。これは、まだ檻を壊せない世界での、泥臭くも美しい物語なのである。


【美術/音楽】

カラフルなデザインと70年代のポップスがこの映画を一層魅力的にしている。キトゥンが愛用する花柄のスーツケース、ターコイズブルーの傘、赤いレインコート。ピープ・ショーのピンクと水色、ロンドンのネオン。田舎の牛乳瓶とコマドリ、ボタンで飾り付けられた制服…生きづらいキトゥンの生活を彩ってくれる。

映画は74年のヒット曲”Sugar Baby Love”で幕を開ける。”If you love someone, Don’t think twice.”という歌詞は、キトゥンの人を愛する力を象徴的に表している。タイトルである”Breakfast on Pluto”は、キトゥンのふわふわとした根無草のような生き方を歌い、Dustin Springfieldの”The Windmills of your Mind”は、キトゥンのか細いささやき声と重なる。


【映像】

映像表現は幅が広い。映画の王道をいくエキセントリックな映像として、クラブの爆破と地下鉄のシーンがある。キトゥンがクラブで兵士と踊り、彼に自分の夢を語る。と、そのときロマンティックなダンスシーンに爆弾が投げ込まれ、クラブは一瞬にして燃え上がる。ミラーボールが床に落ちて金属球は粉々に砕け散る。アクションの手法を使ったコントラストが見事なワンシーン。このテロで、アイルランド人であるキトゥンは犯人だと疑われる。7日間の尋問の末、釈放され、再びロンドンの町をさまよう。地下鉄の駅で母親と思しき女性を見つけ、電車に乗って去ろうとする彼女を走って追いかける。その過程で画面の色が白くなっていく。まるで彼の中の希望が色あせていくように。

他にも、小鳥を特殊効果を使って描いているところや、アイルランドの町を上空から鳥のように映すシーンは目の愉しみである。


【キャスティング】

監督のニール・ジョーダンと主演のキリアン・マーフィーをはじめとして、キャストの多くがアイルランド出身の俳優で固められている。キリアン・マーフィーは繊細な表情と中性的なシルエットで、境界のキャラクターであるキトゥンを演じきった。キトゥンの最初の同僚

を演じるのは「ハリー・ポッター」シリーズでムーディ先生役だったブレンダン・グリーソン。粗暴で愛すべきアイルランド男を好演した。


【さいごに】

この映画は一人の人間をリアルに描いているが、あくまでもハッピーエンドの物語である。主人公は傷つき汚れながらも自分の幸せを手に入れていく。けれど、この世はとてつもない不条理であふれている。endの三文字がつけられないような最期を迎える人がたくさんいる。この映画と現実のトランス女性との間にはいくつもの乖離があるだろう。でも、それはそれでいいのだと思う。というかそれこそが映画の、フィクションの醍醐味だ。見た後に幸せになれる。これを見て人生を諦めずにいる人がいるのではないだろうか。だからこそこの映画をこの上なく愛おしく感じるのだと思う。