古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

噴水の夜(omnibus#3)

 特急列車を降りて人の波に乗って改札を出ると、開放的なデッキの向こうに青空が見えた。背の低い建物が並ぶ、広い空に覆われた街。今日は風が強い。大きく開いた出口から少し冷たい風が吹きつける。髪が顔にあたる。払いのけながらつばの広い帽子を押さえる。駅舎を出ると立ち込める光が瞳に突き刺さる。天気は良すぎるくらいだ。大通りに向かう。青いスーツケースを引きながらしばらく歩くとローカル線の駅に着いた。数駅ほどで降りる。ホームから地上へ上がると、川辺の樹木からウグイスの声が聞こえる。気持ちの良い風が吹く。昨日の雨で増量し濁った川面を辿り視線を挙げると、山の稜線がほのかに光っている。細い道に入り周囲の建物を確かめながらゆっくり進む。大きなパン屋、その隣にクリーニング屋、そして大きなマンション、ここから2つ隣、細長い5階建てのアパート、キャメル色の外壁に3階のベランダを覆うグリーンカーテン、茶色いVillaの文字。黒い笠がついたアンティーク調のランプが規則正しく並ぶ廊下に入る。ぽわっと壁に広がるオレンジの光、錆びついたステンレスのポストを横目に奥まで歩く。エレベーターはあるが部屋は2階なので、スーツケースを両手で引っ張り上げながら狭い階段をのぼる。201号室。表札は入っていない。鍵もかかっていない。ドアノブを捻るとあっさり開いた。籠っていた空気や埃や臭いが飛び出してくる。ここで過ごした日々が一気に蘇る。ここは、私の愛する人が暮らしていた部屋。

 部屋の鍵は玄関の壁に取り付けられたフックに掛けられたままだった。赤や黄色のスパンコールがひしめく大ぶりのキーホルダーがついている。バイクの鍵もある。彼女はよくバイクに乗って移動していた。仕事に行く時、市内に用事がある時、遠出する時。彼女がバイクの後ろに乗せたのはただひとりだけ。それは私ではない。何かが足に当たった。鉄製の傘立てだ。蝶のような曲線模様の飾りがついている。底に溜まっていた水もすっかり蒸発して、埃や紙屑が溜まっているのが見える。中にはオーロラカラーのビニール傘、赤い水玉の傘、クリーム色のレースの日傘、紺色の折り畳み傘が差してある。玄関の横には細長い靴箱が置かれ、上から下まで様々な種類の靴が詰まっている。ふつうのスニーカーや運動靴、固く丈夫な作業靴から、真っ白なブーツ、合成皮革のパンプス、甲にベルトのついたフランクなサンダル、そして靴底が分厚く一面が銀のスパンコールで覆われたピンヒール。彼女が仕事で使っていたものだ。同じ種類で踵が折れたものや靴底が剥がれたものも奥に押し込んである。間に埃が詰まり所々剥がれたスパンコールは玄関のオレンジの照明にうるさく反射する。靴を脱いで玄関から廊下に上がると、右手には浴室、左手には洗面所がある。浴室の上部には小窓があり換気できるようになっている。窓を塞ぐために段ボールが貼り付けてあるが、周りを縁取る黒いガムテープは湿気でめくれている。大きなバスタブの縁には赤カビが残る。水抜き穴に絡まった彼女の金色の髪の毛を千切れないように取る。胸まである長い髪だった。彼女が踊るとこの髪が大きく振り上げられた。廊下の突き当り、ビーズカーテンを開けると、一人暮らしには広すぎるくらいの部屋が現われる。それでも、床に散乱した要るのかどうかも分からない細々とした物たちや、引っ越しから半年以上経っても開けられないまま積み重なった段ボールのせいで、不思議と狭く見えてくる。窓は右手の壁に二箇所開き、その間には正方形のテーブルが置かれている。窓から入る風に壁のポスターがはためく。柔らかな午後の光に包まれ、床で眠る彼女の姿が見える。

 私の愛する人、サラはダンサーだった。昼はダンスカンパニーで稽古、夜はラウンジで働き、仕事終わりに私のバイト先のバーに来ていた。店の中でも若かった私とはすぐに意気投合した。いつだったか、お客さんに飲まされて酔いつぶれた時にこの部屋に泊めてくれた。それからは仕事が終わると一緒に帰るようになった。カラスが鳴き酔っ払いが道端で眠る明け方の繁華街を、手をつないで歩いた。もう歩けないと駄々をこねると彼女が体を支えてくれた。朝日を受けて眩しそうに眼をひそめる。朝の冷たい空気を気持ちよさそうに吸い込む。今日はこんな客が来たと愚痴を言い合って、最後は少し元気になって、彼女の家まで駆けっこした。帰ると部屋の床には酒瓶やシューズが転がっていた。彼女は片付けが苦手だった。代わりに私が片づけていたけれど、散らかった部屋で彼女の痕跡をいつまでも感じていたい気もした。午前中はいつもレッスンだった。午後にリハーサルがないときは帰って眠り夜に備える。リハがあるときは夜の仕事はなし。サラはいつも眠そうにしていて、時間があれば寝ていた。仕事終わりにはいつもひとりでベッドを使いたがった。機嫌が良いときは一緒に寝てくれたが、大抵はしまってあるマットレスを引き出して寝ていた。ベッドはロフトの上段にあり、下段には仕事道具がしまってあった。シューズを加工する道具や直しが必要な衣装、髪を整えるワックスやヘアピンなどがここにまとめられた。美術学校を出て手先が器用な私は、サラの衣装を縫ったり髪を結うのを手伝った。

 いまはこのスペースには衣装はない。ケースから溢れ出たヘアピン、何本もの太いヘアゴム、シューズのリボン、ソールを削るチーズおろし器、ごてごてとしたロココ調の鏡、残り少なくなった香水の瓶、端が破れたコンサートのチラシ、布製の幅広テープと黄色の持ち手の小さなハサミ、そして隅の方に立てかけられたキャンバス絵。この絵は私が描いたものだ。ランプをつける。目を閉じてうつむいたプロフィール。口元は結ばれ、くっきりと引かれた顎のラインは少し男性的でもある。全体に中性的な表情に対して、翼のついたブルーグレーの兜や鎧は、この人物が戦いに赴く身であることを示す。赤い旗と体に巻き付く赤いリボンは、栄光を示しているようでもあり、彼を縛っているようでもある。胸より上しか描かれず、手足の動きが見えないため、この人物の表情が強い印象を残す。痛ましさ。これはサラの痛みだ。サラが愛したのは私ではなかった。相手は私の美術学校時代の同級生。年齢も作品のジャンルも同じで、私はずっとライバルだと思っているが、彼を越えられたことは一度もない。とはいえ敵ではなくむしろ協力し合う仲間であり、情報交換や共同制作は頻繁にしていた。私のバイト先に来ることもあり、私がふたりを引き合わせる形になってしまった。サラは伊達男が嫌いだった。外見も言葉も飾らない彼をすぐ好きになった。美しいサラに言い寄られれば断る男はいない。彼女を独占できる時間が短くなっていった。彼女の生活は輝きはじめた。仕事以外の時間でも元気を振りまき、そわそわすることが多くなった。彼といるときのサラは心から幸せそうだった。それだけなら私は満足しただろう。しかし彼はサラを愛していなかった。この部屋に来ると、男女の口論する声がよく聞こえた。大抵は彼がサラとの約束を破り、彼女が泣きわめいているところだった。逃げるように部屋を出る彼とすれ違う。泣いてぐちゃぐちゃになった彼女のメイクを落としてやる。傷つけられた彼女しか手に入らなかった。私の作品は憎しみと妬みがにじみ出た醜いものになっていった。新人展に出品したときも、彼女は私の作品に困惑していた。それでも私とはいつまでも友だちでいてくれると思っていた。

 部屋に入ってすぐ右手に、簡素なキッチンがある。壁のタイルには唐草模様のシールが貼ってある。ダンサーである彼女は常に食事を自分で用意していた。料理をしながら準備体操をする彼女の姿が目に焼き付いている。キッチンの横には冷蔵庫と洗濯機が並ぶ。黄緑色の背の低い冷蔵庫にはダンスカンパニーのスケジュール表がマグネットで留めてあった。窓は二つあって東向き、手前の窓からはバルコニーに出ることができた。バルコニーの柵にはプランターをいくつもぶら下げて花を育てていた。ここにロープをかけて洗濯物を干してもいた。アパートに来る途中、ふと上を見ると、はためくシーツやタオルの間で踊っている彼女が見えた。しかしすぐに背後から男が現われる。長く伸びた腕が掴まれ、踊りは中断してしまう。そんな日はこそこそと帰りながら自分の愚かしさを反芻するが、結局いつも彼女から離れられないという言い訳で終わる。東を向いたもう一つの窓の前には正方形のダイニングテーブルが置いてある。華奢な脚がついた木製の白いテーブル。セットのイスが2つある。いつもより仕事が早く終わったある夜のこと、いつものようにふたりで帰り、いつの間にかソファで寝てしまっていた。もう日が高くなった頃に目が覚め、窓のほうを見ると、イスに座ったままテーブルに突っ伏して眠るサラがいた。顔はこちらに向き、髪が肩やテーブルに広がっている。鼻から出る寝息が顔にかかった髪をかすかに動かす。黄色い光が薄いレースのカーテンを通って白い腕に降り注ぐ。外からはかすかにトラックの貨物が揺れる音やクラクション、スクールバスの子どもたちの声が聞こえる。ゆっくりと時間が流れるのを感じる。この瞬間が永遠であればいいのに。

 彼女の恋人はこの部屋で作品を作るようになり、この部屋は3人のたまり場のようになっていた。ある夜、彼が友人を連れてきて大麻パーティーをした。絨毯の上にビニール袋、大麻草、巻紙、キャンドル、グラスなどが散らかっている。始まる前にふたりが喧嘩していたのを思い出し、次第に吐き気がしてくる。水色の壁に備え付けられた二台のスピーカーから音楽が流れる。キャンドルの明かりはますます膨張していくようだった。サラは腰に布をたくさん巻いて踊っていた。一曲終わるごとに一枚ずつ剥がされていく。ついに最後の一枚になったとき、サラは彼の方に手を伸ばした。期待と不安に満ちたまなざし。彼はその手を押し戻し、彼女を抱き上げて運び、ベッドの上に立たせた。クジが作られた。勝った者が最後の一枚を脱がせるのだという。彼女は甲高い笑い声を上げてベッドに倒れ込んだ。ベッドの壁を這い回る豆電球の光の衝突で、彼女の表情は隠されたままだった。その後は地獄だった、と思う。私はよく覚えていない。朝起きてまず目に入ったのは、低い天井に飛び散った血の1滴だった。ガラスの破片、穴の開いた壁、破れたシーツ、撒き散らされたワイン。サラはいなかった。ソファから飛び起きて部屋を見回すと、彼女の恋人が目に入った。目から着火したように頭が燃え上がる。忍び足でキッチンへ近づき置きっぱなしのフルーツナイフを手繰り寄せる。背後に隠しながら彼の方へ近づいていく。が、すぐに彼は気がつき目を覚ます。飛び起きて私を確認すると、何かなだめるようなことを言いながら近づいてくる。俊敏な動きに、彼の怒りが現われていた。彼が腕を伸ばして私の手を掴もうとする。そして私の首を。彼の悲鳴と熱い血の感触。

 そのあと私は田舎にある実家へ逃げ帰った。彼女とは連絡が取れなくなった。それでも忘れられず、数ヶ月ぶりにこの街を訪れた。この時間なら外出しているだろうと思ったけれど、まずこの部屋に来たかった。ここは彼女の思い出に触れられる大切な場所。彼女がいなければ無為な日々になっていただろう。空っぽな私に、刺激と愛をくれた人。でもそれもこの数ヶ月でなくなってしまった。以前のような憎しみの込もった絵はおろか、何を描いても教科書通り。自分の作品は作れない。彼女がいなければ。

 突然チャイムの音が鳴った。ためらっていると連打してくる。色々な不安がよぎり、開けられないまま壁に強く体を押しつける。不気味な残響が消えると、勢いよくドアが開いた。サラの恋人だった。私は後ずさりする。すると彼は私に向かって、サラと呼んだ。サラはいない。早く帰って。男はなおもサラと呼び続け、部屋に入り込む。なぜ?私からサラを奪っておいて、なおも私に付きまとう。ここは彼女との思い出の場所なのに。痺れを切らした男は私の腕を掴み、ロフトベッドの下まで連れていった。

 

 あの絵、私が描いたサラの絵。

 違う。これは俺が描いた、君の肖像画だ。君がサラだ。

 

床に落ちていた鏡を持ってきてサラの目の前に差し出す。サラの顔は硬直する。不安に苛まれた細い眉、哀しみに翳る眼窩、繊細な直線を描く鼻筋、意志を感じさせる顎、鏡の中にいる顔はすべて絵にそっくりだった。ダンサーのサラはいない。俺との関係に悩んだ君の作り話だ。男はあからさまな溜息をつくと、この絵は買い手がついたから持っていくと宣言した。サラが制止すると、彼はある提案をした。

 秋の夜は人出が多い。誰しも興奮を求めて涼しい空気に身を任せる。露店の裸電球、ネオンの看板、モザイク状のビルの光、紺色の空を貫くサーチライト。駅から出ては入ってゆく列車と人。ここかしこで言葉と笑い声と視線が交わされる。大通りを最初の信号で曲がり、高級店舗がひしめく並木道を歩く。着飾ったご婦人がばらばらと集まり、徐々にゆるい列を作っていく。仕立ての良いジャケットを着た男性陣は手に二つ折りのカードをちらつかせる。列を見た人々はひそひそと噂話に興じるが、すぐに関心を移して過ぎ去っていく。彼らが向かう先には老舗の画廊があった。今夜はプレミア、限られた招待客のみ見ることができる。シーズン開幕を飾るのは二人展。学生時代から合同制作を続けてきたふたりのコンビ結成10周年を記念した会である。ただし今回は特別。合作は一点のみ、他はすべて個人作品を展示する。素材を使いこなす職人肌の作家と、センセーションを生む天才の競演である。翌日の新聞には賞賛の記事が載った。その中でひとつだけ、ふたりの関係性に言及した紙があった。——グループにおいて固定したメンバーは様式の硬直化(いわゆる馴れあい)につながりやすいが、彼らの場合はふたりの作家の間の関係性を変化させることでそれを防いでいるのではないか。ある時は協調的に、ある時は対立的にふるまうというように、常に初めて出会った者同士のように相対することで、ふたりの作品には新たな局面が生まれるのである。しかし個人的に思うのは、こうした関係は芸術にとっては有益だろうが、いざ実践するとなると神経をすり減らすような大仕事だということである(少なくとも筆者はやりたくない)。

 

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Simeon Solomon(1840-1905)《Mercury》(undated, 19th century) より

広くてきれいなアパートでの一人暮らしに憧れて、理想のワンルームを作ろうと思って書きました。部屋のモデルは『靴に恋して』のレイレの部屋と知り合いのアパートです。都会での新生活に憧れるという点では『ラストナイト・イン・ソーホー』、新しい環境に振り回されて分裂症的になってしまうという点では『ブラック・スワン』を意識し、この絵の悲痛さは『ファビアン』だろうなと思いましたが再現できず、逆にルコントの『歓楽通り』に近くなりました。最後の画廊は『危険なプロット』のジャンヌが務める画廊と銀座の画廊がモデルです。タイトルといい雰囲気といい『甘い生活』に寄ってしまったのはミスです。居心地の良い場所の演出としてブラームスピアノ協奏曲第2番を意識しながら書きました。