古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

Babylon(2022) メモ

全体として Kevin Brownlow “The Parade’s gone by…” の記述と一致する。

チャールストン禁止や露悪的なハーマン家のパーティーは、ニューヨークや東海岸からの距離を示したかったのか。アウトサイダーが集まってできたコミュニティーとしてのハリウッド。

 

☆コーク・パーティー
アーチ型のホールはBabylon Berlin のモカ・エフティと似ている。またフェイのソロはニコロズと似てもいるが、どちらもこの映画の場合では現代的な表現に置き換わっている。(=「黄金の20年代」への幻想の粉砕)

むしろ from dusk till dawn のドラッグ・パーティーを思い出すほどアメリカ的に見える。(=ヨーロッパ趣味の放逐)

このオープニングの見せ場とも言える群衆ショットはラ・ラ・ランドの someone in the crowd とも重なる。このシーンもbabylon berlinにおける zu asche zu staube と好対照である。ニコロズのソロに合わせモカ・エフティに集まった群衆が歌うシーンは、とりわけメインキャラクターである3人の若者に象徴される、困窮しながらも生きのびようとする未熟なドイツとその人々を描いているが、群衆の一体感とその温かさこそ、このシーンをシーズン中のハイライトにしている要因だろう。一方で、今作の群衆ショットはジェットコースターのようなカメラワークで、毒々しさや危険さに満ちた退廃の方を強く感じさせる。映っている人びとは、見た目も行動もそれぞれ孤立している。群衆概念の捉え方の違いが反映されているように思う。


☆ネリー・ラロイ
細く弓なりの眉・輝く白い肌を度外視したビジュアルは完全に現代の女優だが、20年代のスターの出自やエピソードを示すのに何の不都合もない。声の悪さを理由にお払い箱にされるエピソードはルイーズ・ブルックスを思わせ、下賤な娼婦という出で立ちはキャバレー歌手だったマレーネ・ディートリッヒを思わせる。

一方で、オルガのブルックス・カットやハースト邸でのパーティーで流れている音楽(ラヴェルのパロディ)などは数少ないヨーロッパ要素だが、いずれも面白おかしく茶化して描かれている。


☆恐慌の不在
メインの物語は1926年から始まり1930年代で終わるのにもかかわらず、1929年の世界恐慌について全くというほど触れられていない。

強いて言えば、ジョージの死、映画関係者やマッケイの「良い時代は変わった」という言葉などが恐慌を暗示している。ガソリンスタンドが閉まっていることもその一つかもしれない。


☆露骨な見せ場
ブラピが舞台女優の妻に対して映画の大衆性を説くシーン

エリノアがショー・ビジネスについて語るシーン

マヌエルが『雨に唄えば』を見て映画愛を噛みしめるクライマックス


☆メタ的映画、普遍的映画
映画についての映画、ラ・ラ・ランドの完結編。ララランドはいつどこの話でもありえそうなプロットだった。この映画では、20年代が現代にも繋がっているということによって、時間を超越した物語を展開している。


☆伏線回収(意図的に同じ撮り方をしている)
Jazz Singer とSingin’ in the Rain
エリノアの長台詞「俳優の人気は儚いが、存在の証はいつまでも残る」と te amo のダンスシーン
1926年と1932年の撮影現場(時間のキャプション)
「闇に消える」ネリー

フリークスのテーマ
フェリーニホドロフスキーのような底抜けの明るさはなく、ナイトメア・アリーやエレファント・マンのような厳しい現実を見据えた描き方。


☆Te Amo
小さな建物でのダンスシーン

ベルトルッチ『殺し』のラストやフェリーニ『青春群像』の冒頭に似ている。

 

・少しぼやけたような画質。old filmらしさを出しているのだろうか?

→他のチャゼル作品もよく見てみよう。


・エリノアの長台詞における大衆と家のアナロジーは何を意味しているのか?


・マヌエルが命乞いしてあっさり許されるシーンのフィクション感


・ジャックが最後に出演した「クソみたいな映画」の多幸感

→メイクさんとの会話シーンの陳腐さ

→海岸での撮影は、インフェルノや男性と女性といったサイレント黄金時代の名作を思い出させる。


レビューより
“Ironically, any viewer who gets these references is also likely to notice, and be annoyed by, the film’s historical liberties and pervasive anachronisms.”

“Like the inclusion of clips from Singin’ in the Rain, this sequence feels less like homage than hubris.”

Hooray for Hollywood?: The Mythmaking of Damien Chazelle's "Babylon" MUBI


"We knew we didn't want '20s jazz — it's just familiar," he explains. "We've heard it a million times. It's kind of quaint, it's a little tame. This movie is anything but tame."

"There are no actual quotes from La La Land, but there were certain cues where we were going for a certain feeling, a bittersweet feeling, or a melancholy, that was the same feeling that we were going for there. And I'm the same composer and my musical grammar is the same."

 

“Detailed demos were recorded before the film was shot, played back on set like a musical, then sweetened or manipulated after production.”

モリコーネの映画音楽でも、音楽を背景に流しながら撮影したものがある。

噴水の夜(omnibus#3)

 特急列車を降りて人の波に乗って改札を出ると、開放的なデッキの向こうに青空が見えた。背の低い建物が並ぶ、広い空に覆われた街。今日は風が強い。大きく開いた出口から少し冷たい風が吹きつける。髪が顔にあたる。払いのけながらつばの広い帽子を押さえる。駅舎を出ると立ち込める光が瞳に突き刺さる。天気は良すぎるくらいだ。大通りに向かう。青いスーツケースを引きながらしばらく歩くとローカル線の駅に着いた。数駅ほどで降りる。ホームから地上へ上がると、川辺の樹木からウグイスの声が聞こえる。気持ちの良い風が吹く。昨日の雨で増量し濁った川面を辿り視線を挙げると、山の稜線がほのかに光っている。細い道に入り周囲の建物を確かめながらゆっくり進む。大きなパン屋、その隣にクリーニング屋、そして大きなマンション、ここから2つ隣、細長い5階建てのアパート、キャメル色の外壁に3階のベランダを覆うグリーンカーテン、茶色いVillaの文字。黒い笠がついたアンティーク調のランプが規則正しく並ぶ廊下に入る。ぽわっと壁に広がるオレンジの光、錆びついたステンレスのポストを横目に奥まで歩く。エレベーターはあるが部屋は2階なので、スーツケースを両手で引っ張り上げながら狭い階段をのぼる。201号室。表札は入っていない。鍵もかかっていない。ドアノブを捻るとあっさり開いた。籠っていた空気や埃や臭いが飛び出してくる。ここで過ごした日々が一気に蘇る。ここは、私の愛する人が暮らしていた部屋。

 部屋の鍵は玄関の壁に取り付けられたフックに掛けられたままだった。赤や黄色のスパンコールがひしめく大ぶりのキーホルダーがついている。バイクの鍵もある。彼女はよくバイクに乗って移動していた。仕事に行く時、市内に用事がある時、遠出する時。彼女がバイクの後ろに乗せたのはただひとりだけ。それは私ではない。何かが足に当たった。鉄製の傘立てだ。蝶のような曲線模様の飾りがついている。底に溜まっていた水もすっかり蒸発して、埃や紙屑が溜まっているのが見える。中にはオーロラカラーのビニール傘、赤い水玉の傘、クリーム色のレースの日傘、紺色の折り畳み傘が差してある。玄関の横には細長い靴箱が置かれ、上から下まで様々な種類の靴が詰まっている。ふつうのスニーカーや運動靴、固く丈夫な作業靴から、真っ白なブーツ、合成皮革のパンプス、甲にベルトのついたフランクなサンダル、そして靴底が分厚く一面が銀のスパンコールで覆われたピンヒール。彼女が仕事で使っていたものだ。同じ種類で踵が折れたものや靴底が剥がれたものも奥に押し込んである。間に埃が詰まり所々剥がれたスパンコールは玄関のオレンジの照明にうるさく反射する。靴を脱いで玄関から廊下に上がると、右手には浴室、左手には洗面所がある。浴室の上部には小窓があり換気できるようになっている。窓を塞ぐために段ボールが貼り付けてあるが、周りを縁取る黒いガムテープは湿気でめくれている。大きなバスタブの縁には赤カビが残る。水抜き穴に絡まった彼女の金色の髪の毛を千切れないように取る。胸まである長い髪だった。彼女が踊るとこの髪が大きく振り上げられた。廊下の突き当り、ビーズカーテンを開けると、一人暮らしには広すぎるくらいの部屋が現われる。それでも、床に散乱した要るのかどうかも分からない細々とした物たちや、引っ越しから半年以上経っても開けられないまま積み重なった段ボールのせいで、不思議と狭く見えてくる。窓は右手の壁に二箇所開き、その間には正方形のテーブルが置かれている。窓から入る風に壁のポスターがはためく。柔らかな午後の光に包まれ、床で眠る彼女の姿が見える。

 私の愛する人、サラはダンサーだった。昼はダンスカンパニーで稽古、夜はラウンジで働き、仕事終わりに私のバイト先のバーに来ていた。店の中でも若かった私とはすぐに意気投合した。いつだったか、お客さんに飲まされて酔いつぶれた時にこの部屋に泊めてくれた。それからは仕事が終わると一緒に帰るようになった。カラスが鳴き酔っ払いが道端で眠る明け方の繁華街を、手をつないで歩いた。もう歩けないと駄々をこねると彼女が体を支えてくれた。朝日を受けて眩しそうに眼をひそめる。朝の冷たい空気を気持ちよさそうに吸い込む。今日はこんな客が来たと愚痴を言い合って、最後は少し元気になって、彼女の家まで駆けっこした。帰ると部屋の床には酒瓶やシューズが転がっていた。彼女は片付けが苦手だった。代わりに私が片づけていたけれど、散らかった部屋で彼女の痕跡をいつまでも感じていたい気もした。午前中はいつもレッスンだった。午後にリハーサルがないときは帰って眠り夜に備える。リハがあるときは夜の仕事はなし。サラはいつも眠そうにしていて、時間があれば寝ていた。仕事終わりにはいつもひとりでベッドを使いたがった。機嫌が良いときは一緒に寝てくれたが、大抵はしまってあるマットレスを引き出して寝ていた。ベッドはロフトの上段にあり、下段には仕事道具がしまってあった。シューズを加工する道具や直しが必要な衣装、髪を整えるワックスやヘアピンなどがここにまとめられた。美術学校を出て手先が器用な私は、サラの衣装を縫ったり髪を結うのを手伝った。

 いまはこのスペースには衣装はない。ケースから溢れ出たヘアピン、何本もの太いヘアゴム、シューズのリボン、ソールを削るチーズおろし器、ごてごてとしたロココ調の鏡、残り少なくなった香水の瓶、端が破れたコンサートのチラシ、布製の幅広テープと黄色の持ち手の小さなハサミ、そして隅の方に立てかけられたキャンバス絵。この絵は私が描いたものだ。ランプをつける。目を閉じてうつむいたプロフィール。口元は結ばれ、くっきりと引かれた顎のラインは少し男性的でもある。全体に中性的な表情に対して、翼のついたブルーグレーの兜や鎧は、この人物が戦いに赴く身であることを示す。赤い旗と体に巻き付く赤いリボンは、栄光を示しているようでもあり、彼を縛っているようでもある。胸より上しか描かれず、手足の動きが見えないため、この人物の表情が強い印象を残す。痛ましさ。これはサラの痛みだ。サラが愛したのは私ではなかった。相手は私の美術学校時代の同級生。年齢も作品のジャンルも同じで、私はずっとライバルだと思っているが、彼を越えられたことは一度もない。とはいえ敵ではなくむしろ協力し合う仲間であり、情報交換や共同制作は頻繁にしていた。私のバイト先に来ることもあり、私がふたりを引き合わせる形になってしまった。サラは伊達男が嫌いだった。外見も言葉も飾らない彼をすぐ好きになった。美しいサラに言い寄られれば断る男はいない。彼女を独占できる時間が短くなっていった。彼女の生活は輝きはじめた。仕事以外の時間でも元気を振りまき、そわそわすることが多くなった。彼といるときのサラは心から幸せそうだった。それだけなら私は満足しただろう。しかし彼はサラを愛していなかった。この部屋に来ると、男女の口論する声がよく聞こえた。大抵は彼がサラとの約束を破り、彼女が泣きわめいているところだった。逃げるように部屋を出る彼とすれ違う。泣いてぐちゃぐちゃになった彼女のメイクを落としてやる。傷つけられた彼女しか手に入らなかった。私の作品は憎しみと妬みがにじみ出た醜いものになっていった。新人展に出品したときも、彼女は私の作品に困惑していた。それでも私とはいつまでも友だちでいてくれると思っていた。

 部屋に入ってすぐ右手に、簡素なキッチンがある。壁のタイルには唐草模様のシールが貼ってある。ダンサーである彼女は常に食事を自分で用意していた。料理をしながら準備体操をする彼女の姿が目に焼き付いている。キッチンの横には冷蔵庫と洗濯機が並ぶ。黄緑色の背の低い冷蔵庫にはダンスカンパニーのスケジュール表がマグネットで留めてあった。窓は二つあって東向き、手前の窓からはバルコニーに出ることができた。バルコニーの柵にはプランターをいくつもぶら下げて花を育てていた。ここにロープをかけて洗濯物を干してもいた。アパートに来る途中、ふと上を見ると、はためくシーツやタオルの間で踊っている彼女が見えた。しかしすぐに背後から男が現われる。長く伸びた腕が掴まれ、踊りは中断してしまう。そんな日はこそこそと帰りながら自分の愚かしさを反芻するが、結局いつも彼女から離れられないという言い訳で終わる。東を向いたもう一つの窓の前には正方形のダイニングテーブルが置いてある。華奢な脚がついた木製の白いテーブル。セットのイスが2つある。いつもより仕事が早く終わったある夜のこと、いつものようにふたりで帰り、いつの間にかソファで寝てしまっていた。もう日が高くなった頃に目が覚め、窓のほうを見ると、イスに座ったままテーブルに突っ伏して眠るサラがいた。顔はこちらに向き、髪が肩やテーブルに広がっている。鼻から出る寝息が顔にかかった髪をかすかに動かす。黄色い光が薄いレースのカーテンを通って白い腕に降り注ぐ。外からはかすかにトラックの貨物が揺れる音やクラクション、スクールバスの子どもたちの声が聞こえる。ゆっくりと時間が流れるのを感じる。この瞬間が永遠であればいいのに。

 彼女の恋人はこの部屋で作品を作るようになり、この部屋は3人のたまり場のようになっていた。ある夜、彼が友人を連れてきて大麻パーティーをした。絨毯の上にビニール袋、大麻草、巻紙、キャンドル、グラスなどが散らかっている。始まる前にふたりが喧嘩していたのを思い出し、次第に吐き気がしてくる。水色の壁に備え付けられた二台のスピーカーから音楽が流れる。キャンドルの明かりはますます膨張していくようだった。サラは腰に布をたくさん巻いて踊っていた。一曲終わるごとに一枚ずつ剥がされていく。ついに最後の一枚になったとき、サラは彼の方に手を伸ばした。期待と不安に満ちたまなざし。彼はその手を押し戻し、彼女を抱き上げて運び、ベッドの上に立たせた。クジが作られた。勝った者が最後の一枚を脱がせるのだという。彼女は甲高い笑い声を上げてベッドに倒れ込んだ。ベッドの壁を這い回る豆電球の光の衝突で、彼女の表情は隠されたままだった。その後は地獄だった、と思う。私はよく覚えていない。朝起きてまず目に入ったのは、低い天井に飛び散った血の1滴だった。ガラスの破片、穴の開いた壁、破れたシーツ、撒き散らされたワイン。サラはいなかった。ソファから飛び起きて部屋を見回すと、彼女の恋人が目に入った。目から着火したように頭が燃え上がる。忍び足でキッチンへ近づき置きっぱなしのフルーツナイフを手繰り寄せる。背後に隠しながら彼の方へ近づいていく。が、すぐに彼は気がつき目を覚ます。飛び起きて私を確認すると、何かなだめるようなことを言いながら近づいてくる。俊敏な動きに、彼の怒りが現われていた。彼が腕を伸ばして私の手を掴もうとする。そして私の首を。彼の悲鳴と熱い血の感触。

 そのあと私は田舎にある実家へ逃げ帰った。彼女とは連絡が取れなくなった。それでも忘れられず、数ヶ月ぶりにこの街を訪れた。この時間なら外出しているだろうと思ったけれど、まずこの部屋に来たかった。ここは彼女の思い出に触れられる大切な場所。彼女がいなければ無為な日々になっていただろう。空っぽな私に、刺激と愛をくれた人。でもそれもこの数ヶ月でなくなってしまった。以前のような憎しみの込もった絵はおろか、何を描いても教科書通り。自分の作品は作れない。彼女がいなければ。

 突然チャイムの音が鳴った。ためらっていると連打してくる。色々な不安がよぎり、開けられないまま壁に強く体を押しつける。不気味な残響が消えると、勢いよくドアが開いた。サラの恋人だった。私は後ずさりする。すると彼は私に向かって、サラと呼んだ。サラはいない。早く帰って。男はなおもサラと呼び続け、部屋に入り込む。なぜ?私からサラを奪っておいて、なおも私に付きまとう。ここは彼女との思い出の場所なのに。痺れを切らした男は私の腕を掴み、ロフトベッドの下まで連れていった。

 

 あの絵、私が描いたサラの絵。

 違う。これは俺が描いた、君の肖像画だ。君がサラだ。

 

床に落ちていた鏡を持ってきてサラの目の前に差し出す。サラの顔は硬直する。不安に苛まれた細い眉、哀しみに翳る眼窩、繊細な直線を描く鼻筋、意志を感じさせる顎、鏡の中にいる顔はすべて絵にそっくりだった。ダンサーのサラはいない。俺との関係に悩んだ君の作り話だ。男はあからさまな溜息をつくと、この絵は買い手がついたから持っていくと宣言した。サラが制止すると、彼はある提案をした。

 秋の夜は人出が多い。誰しも興奮を求めて涼しい空気に身を任せる。露店の裸電球、ネオンの看板、モザイク状のビルの光、紺色の空を貫くサーチライト。駅から出ては入ってゆく列車と人。ここかしこで言葉と笑い声と視線が交わされる。大通りを最初の信号で曲がり、高級店舗がひしめく並木道を歩く。着飾ったご婦人がばらばらと集まり、徐々にゆるい列を作っていく。仕立ての良いジャケットを着た男性陣は手に二つ折りのカードをちらつかせる。列を見た人々はひそひそと噂話に興じるが、すぐに関心を移して過ぎ去っていく。彼らが向かう先には老舗の画廊があった。今夜はプレミア、限られた招待客のみ見ることができる。シーズン開幕を飾るのは二人展。学生時代から合同制作を続けてきたふたりのコンビ結成10周年を記念した会である。ただし今回は特別。合作は一点のみ、他はすべて個人作品を展示する。素材を使いこなす職人肌の作家と、センセーションを生む天才の競演である。翌日の新聞には賞賛の記事が載った。その中でひとつだけ、ふたりの関係性に言及した紙があった。——グループにおいて固定したメンバーは様式の硬直化(いわゆる馴れあい)につながりやすいが、彼らの場合はふたりの作家の間の関係性を変化させることでそれを防いでいるのではないか。ある時は協調的に、ある時は対立的にふるまうというように、常に初めて出会った者同士のように相対することで、ふたりの作品には新たな局面が生まれるのである。しかし個人的に思うのは、こうした関係は芸術にとっては有益だろうが、いざ実践するとなると神経をすり減らすような大仕事だということである(少なくとも筆者はやりたくない)。

 

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Simeon Solomon(1840-1905)《Mercury》(undated, 19th century) より

広くてきれいなアパートでの一人暮らしに憧れて、理想のワンルームを作ろうと思って書きました。部屋のモデルは『靴に恋して』のレイレの部屋と知り合いのアパートです。都会での新生活に憧れるという点では『ラストナイト・イン・ソーホー』、新しい環境に振り回されて分裂症的になってしまうという点では『ブラック・スワン』を意識し、この絵の悲痛さは『ファビアン』だろうなと思いましたが再現できず、逆にルコントの『歓楽通り』に近くなりました。最後の画廊は『危険なプロット』のジャンヌが務める画廊と銀座の画廊がモデルです。タイトルといい雰囲気といい『甘い生活』に寄ってしまったのはミスです。居心地の良い場所の演出としてブラームスピアノ協奏曲第2番を意識しながら書きました。

灼熱の神殿(omnibus#2)

 私の父は音楽家の加納晴毅(せいき)だ。地元の名士の家系に生まれ、祖父は実業家、父親は生物学者だった。幼少期から様々な分野で優れた能力を示すが、とりわけピアノの腕は際立っていた。小学校に上がるとチェロも習い始める。毎日レッスンを受けているにもかかわらず、学校では成績優秀、のみならず気さくで誰とでも打ち解けられた。学校の吹奏クラブでも指揮を担当していた。しかし、そんなのびのびとした子供時代もあっという間に終わりを迎える。ピアノ教師の強い勧めで14歳のときアメリカの音楽院に留学する。かの地では素晴らしい教授陣から教えを受け、国際コンクールで次々と入賞を果たすようになる。そして19歳でのチャイコフスキー・コンクール優勝。その記者会見の場で突然、演奏活動の休止を宣言した。ピアニストとして安定したキャリアを歩み出した矢先のことだった。一部ではケガや難病説が囁かれた。実際、会見の直後に彼は姿を消した。活動休止の件は家族や教師にも伝えていなかったため、失踪、あるいは自殺という説は濃厚だった。音楽界は若き天才を失った。絶望が日本中を、世界中を襲った。しかし人々の悲しみをあざ笑うかのように新しいスターが次々と誕生する。かつて熱狂的に彼のコンサートに出没していたファンたちも早々に喪を終えた。誰もが彼のことを忘れ去った頃、伝統ある楽譜出版社に不審な電話が入った。電話口には男がいた。自分はかつてピアニストとして活躍していた加納という者だ、新曲を持っているからぜひそちらで出版させてほしい、と。あまりにも唐突な報せ、しかも相手の素性も分からない。社内では不審すぎると警戒する声も上がったが、もし本当ならとてつもないスクープだ。もちろん作品の質は知れない。だが必ず話題になる。このチャンスを逃すわけにはいかない。早速、電話の男との会合がセッティングされた。ホテルの一室に現れたのは、なんと2年前に消えた日本人ピアニストだった。そこからの動きは迅速だった。作曲家が加納であることは機密情報とした上で、社が懇意にしている批評家らに楽譜の写しを送り、彼らのアドバイスに従ってオーケストラを選定、新人の曲ということで返答は芳しくなかったが、高額のギャラを提示してなんとか練習を始めさせた。宣伝にも大金を積み、ようやく半年後、初演に漕ぎつけた。指揮台に上がったのは、作曲家《Cano》であった。およそ3年前、彼は長年温めていた構想に着手すべく、ある知り合いの元で作曲の勉強を始めた。それは加納のために何度もピアノ曲を書き、彼が最も信頼していた作曲家だった。そうして完成した交響曲は、ロマン派の再来と呼ばれた。伝統的な楽器に精通した彼は、陳腐とも取られかねない形式の中で美しい作品を作った。現代音楽ではなく、むしろ現代人が心の底から求める音楽を。しかしそれは単なる追従ではなく一抹の皮肉も込めた、知性派の彼らしい音楽であった。華々しいデビューを用意した出版社は、当然のごとくCanoと5年間の独占契約を結んだ。それからは働き詰めの日々だった。まだ作曲家として日が浅いにもかかわらず、実験も思索も許されないほど逼迫したスケジュールで新曲を発表した。その合間に指揮活動、演奏活動の依頼も舞い込んだ。今でもピアニスト加納の姿を追い求める人々がいたのだ。こうした仕事の一つひとつを完璧に仕上げるには、才能と情熱だけでは足りなかった。彼に作曲の手ほどきをした作曲家をはじめとして、これまで出会ってきた数々の音楽家仲間が陰で支えてくれたのだ。コンサート会場や楽器の融通はもちろんのこと、創作の悩みを聞き、社が用意したマネージャーとの間に立って交渉し、なるべく加納が負担なく仕事できるよう動いた。皆が彼の音楽を愛していたのだ。そうして5年の契約を乗り切った後、彼は婚約を発表した。相手は音楽院時代に知り合った日本人ヴァイオリニストだった。

「沙紀は、ピアニストとしての、そして作曲家としての、僕の成長を一番間近で見てくれました。両親や先生よりも、僕の弱さを分かっているかもしれません。そして、つらい時に励まし合った大切な仲間でもあります。彼女がそばにいて、一緒に音楽を作ってくれることは、僕の人生の一番の喜びです。」

仲の良い友人たちだけを招いた披露宴でのスピーチは、謙虚で素直な彼らしい言葉だった。良き伴侶を得たCanoは、作曲家として安定したキャリアを重ねていく。専属契約の間はクラシック音楽の作曲しか許されなかったが、フリーになってからは歌手とのコラボや舞台演出、映画音楽にも挑戦した。ジャンルごとに才能を使い分けることができる、と業界では引っ張りだこになった。やがて二人の息子も生まれ、加納夫婦は拠点を日本に置くことを決意した。まだ30代の若さにもかかわらず。帰国後のCanoは子供向けコンサートを定期的に開催し、音楽界以外での知名度も上がっていった。褒章も賜った。国際的な名声よりも、最も身近な人々が楽しんでくれる音楽を作りたい——彼のポリシーは音楽家を志す若者たちの憧れになった。抜きん出た才能と弛まぬ努力によって溢れんばかりの名声を手に入れながらも、それらを遙かに凌駕する人徳を持ち合わせた芸術家。それが私の父だ。

 そしてこの私、加納朋毅(ともき)は、Canoの2人いる息子のうちの長男だ。次男の晴巳(はるみ)は歌手として父と同じ音楽の道を進んだ。才能や人気は父に及ばないが、クラシックに限らず多彩なジャンルで活躍するため、安易に比較されることなく仕事を楽しんでいる。しかし、私は4人家族の中で一人だけ、音楽の道を選ばなかった。別に音楽が嫌いだとか、トラウマだとか、そういうことではない。もちろん、生まれた時から音楽を浴びて続けていたから、飽きていないと言えば嘘になる。それでも、学校に行く前から合唱団で歌っていたので声には結構自身があるし、ピアノも人並み以上には弾ける。音楽を楽しんで生きてきた。ただ、ずば抜けた才能と情熱がなかっただけなのだ。私は7年ほど前から眼科医として大学病院で働いている。なぜ音楽家の息子が医者になど?私たち家族を知る者なら訝しんだだろうが、誰も直接聞いてはこなかった。才能ある親を持つ子どもの苦悩はよく理解されていたのだ。私はむしろ聞いてほしいと思った。記憶力が良く、頭の回転も早い。単純に勉強が得意だったからだ。いつのことだったか、塾の先生に医学部を狙えると言われた。なるほど、医者か。医者は絶対に必要な仕事だ。働く理由がはっきりしている仕事は新鮮だった。ピアノを触らない時間が増えても、両親は何も言わなかった。私大ではあったが医学部に現役で合格し、今ではこの学校を職場にしている。他人から勧められたコースを選びなんとなく生きている私を、父は優しく見守ってくれるが、母はきっと不満に感じていることだろう。幼いころ母にピアノのレッスンをつけてもらっていたとき、私が間違えると彼女は無意識にため息をついていた。静かな室内で母と2人きり、私は母の苛立ちをすぐに感じ取ってしまった。その恐怖でミスは減ったが、そもそも母にとって間違えないことは最低条件であり、平坦な弾き方をするともっと深いため息をついていた。間違えてもいいから、この一曲を通してお母さんに何かを伝えてみなさい。母にはよくそう言われていた。何がだめなのかは分かっていたけれど、どうすればいいのか分からなかった。そうして私のピアノはますます不安と困惑を深めていく。

 そんな暮らしを送り続け、30歳のときに私は結婚した。相手は、父が懇意にしているアートマネジメント会社の社員だった。彼女、麻里子とは、父が関わる音楽イベントのパーティーで出会った。一目ぼれだった。私の職場の女性たちは、誰もが安定した将来を狙ってぎらついていた。しかし彼女は違った。知的で淑やか、そして優しい女性だった。この業界で働いているというだけで優秀には違いないのだが、振る舞いにも知性を感じさせた。有能であることに奢るどころか、自信や誇りさえ見せない物腰の低さがあった。しかし単に卑屈なのとは違う、相手の目線に立つ謙虚さだった。どこか父に似ているかもしれない。麻里子と出会う前は、同じ職場の女性との短期間の交際を繰り返していた。しかし身を固める時期が近づくと、同僚も女性たちも軽はずみな付き合いはしなくなった。1人でいる時間が増えて寂しかったのかもしれない。出会って数時間なのに、気づけば食事の約束を交わしていた。その後の展開は、夢でも見ているのかと思うほど急速に進んでいった。私は彼女に夢中になった。会えば会うほど、彼女の美しさに魅了され、彼女の優しさを独占したくなった。そして出会ってから半年後、私たちは婚約した。なぜ彼女は承諾したのか。披露宴では、父の知り合いや彼女の上司、クライアントなど、音楽界の重鎮や著名な文化人らが集まり、私たちを祝福してくれた。彼女にはふさわしい式だったろう。

「素晴らしい女性である麻里子が、私のような人間と一緒にいることを許してくれる、これほど幸運なことがあるでしょうか。図らずも彼女との出会いを用意してくれたわが父、そして彼女を愛する特権を与えてくれた他ならぬ麻里子本人に、最大限の愛を込めて。」

なんて卑屈な奴だろう。けれどこれが私だ。このようにしか生きられないし、そんな私を選んでくれた妻は永遠の謎だ。いや、謎だと思いたかった。彼女は加納晴毅の、敬愛する音楽家の最も近くで働くために、その息子と愛のない結婚をした。それだけのことだ。でなければ、私が盗み見ているこの部屋で、いま起こっていることをどう説明すればいい?

♬♬♬

 あれは私が初めて職場に自分の部屋を持った日のことだ。お祝いにたくさんの友だちが来てくれた。そして夜になって麻里子もやってきた。美しい花束を持って。廊下を優しく叩くパンプスの音が近づいてくる。3回ノックの音がした後、ドアがスライドする瞬間は永遠に思えた。引き戸を2/3ほど開けて、伏せた目を上げる麻里子。片手に数本の椿を抱え、急ぐ様子もなく私の部屋に入ってきた。

「おめでとう。遅くなってごめんなさいね。」

「おつかれさま——すごい花束だな、誰もそんなに立派なものは持って来なかったよ。」

「きれいでしょう?」

「……君もね。」

彼女はおどけた笑みを浮かべ、そのまま私の横を通り過ぎて、余った花瓶に花を活けた。そして出窓の窓枠に置かれた花たちを整えはじめた。大きく背の高い花束は窓側へ、小さな鉢花は内側へ。重なってしまった花同士を広げ、全てに日が当たるようにする。彼女の腕が当たりいくつかの花びらが窓枠に落ちたが、茎の上に残った花たちは彼女に触れられて一層艶やかになるようだった。

「きれいだよね。みんな気を遣って持ってきてくれたんだ。」

「おめでたい日だもの、当然よ。」

「本当に、信じられないよ。こんな僕でも自分の部屋がもらえるなんてね。」

彼女はちょっと困ったように首を傾げながら笑う。

「そうなの?ともきさんはとても優秀だって、いつも同僚の方たちから聞いているけれど。」

彼女はいつの間に見つけたのか、クローゼットから私の上着を取り出している。私が脱いだ白衣を受け取り、代わりに私の背後から上着を着せる。

 帰りは彼女の車で帰った。長く使っているがとても清潔に保っている。麻里子は運転がうまい。少しスピードを落として話し始める。今日はクライアントの自宅に行ったのだけど、その周りにとても良い商店街があってね、珈琲豆を売っているお店を見つけたの。試飲させてもらって、美味しかった豆を買ってきたから、明日挽いてみてくれる?それとね、そのクライアントもたまたま珈琲が好きな人だったのよ、だから少し頂いてきたけれど…少し雑味が多かった。いつもあなたのを飲んでいるから、さっぱりしていないと美味しく感じられないの——とめどないおしゃべりの波に飲まれていく。さっきまでもやもやとしていたことが、彼女の滑らかな声と車の心地よい振動に流されていくようだった。30分も経たず家に着いた。私は先に降り彼女の方のドアを開けた。彼女はちらっと私を見上げて微笑み、おもむろに車を降りた。1階のベランダと駐車場を仕切る植木の側面がきれいに平らに揃えられていた。エントランスのウィンドウもいつもより曇りなく磨かれているように見えた。廊下の白い壁面が上向きに等間隔で設置されたオレンジの照明で染められる。茶色の扉のエレベーターはいつもより石油くさかった。いつの間にか入り込んだ蛾を避けた拍子に、彼女のイヤリングが落ちた。すかさず拾って右耳につけてやる。常に笑みを絶やさない彼女が恥ずかしさに顔を歪める。麻里子は決して私のものになどならない。彼女の首はグレープフルーツの匂いがする。貪るほど酸っぱく切ない想いをする。その度に私は後悔したが、どうしてもやめられなかった。私が愛すれば愛するほど、彼女の美しさは他の男たちに振り向けられるかのようだった。彼女を閉じ込め、折檻したかった。何度も考えた。彼女を支配する条件は揃っている。なぜやらないのか。私にできたのは、ただ、彼女の前から逃亡することだけだった。

♬♬♬

 それは結婚して3年ほど経った頃のことだった。麻里子が急に私との距離を縮めるようになった。人前ではもちろんのこと、家で二人きりの時でさえ側に寄ってくるようになった。不可解だった。そもそも互いに落ち着いた付き合いを望んでいたため、傍から見れば冷淡にさえ映るほど穏やかな関係だった。二人とも責任ある仕事を持ち、休みの日が被ることもあまりない。食卓を共にする機会は数えるほどしかなかった。もちろん寝室も別だ。それでも夫婦でいられたのは、ひとえに相性が良いからだろうと思っていた。二人とも面倒事を好まず、プライベートに過剰な期待を持たなかった。それなのに、彼女は子どもが欲しいと言った。私もできれば子どもは欲しかった。けれど、いまの私たちに本当に家庭が作れるのか?自信はなかった。

 急に麻里子は甲斐甲斐しい妻になった。どんなに忙しくても朝食だけは必ず彼女が作り一緒に食べるようになった。焼き魚に味噌汁、蒸し野菜サラダ、アサイーボウルといった健康料理、パンケーキやきのこスープ、パエリアといった手のかかるものまで、なんでも作った。開放的なカウンターキッチンは、バルコニーへ通じる大きなガラス戸から朝日が差し込むダイニングとつながっている。色とりどりのタイルが貼られた調味料棚、彼女が毎日掃除して新品同然に保たれたシンク、鉄製の鍋やフライパンは父のフランス土産のドアノブに掛けられ、食器棚にはレースのカーテンが吊るされていた。籐でできた野菜籠には、彼女が直接契約した農家のじゃがいもや人参、キャベツやネギが常に入っていた。キッチンの脇に開けられた小窓に干している布巾はこまめに縫い直して手入れされたものだ。ダイニングテーブルはマホガニー製の大きめのものだ。人を呼んで食事をするときのために選んだ。椅子はアアルト・デザインのものを数種類選んだ。麻里子は座面が高いスツールが気に入っていた。彼女の食卓はいつも草花に満ちていた。カスミソウやラッパ水仙、ヒヤシンスの花束や、薔薇の一輪挿し、バルコニーで育てたマーガレット。食事と同じように常に違うものが活けられていた。

 ある素晴らしい休みの日の朝、大きく開け放たれた窓からの風で目が覚めた。前日の夜、疲れてリビングのソファで寝てしまったのだ。もうかなり日が昇っている。少し強いが心地よい程度の風で洗濯物がはためく。タオルを物干し竿に掛ける麻里子は、強い光に包まれてそのまま溶け出してしまいそうに見えた。普段の微笑みはないが、眠っている時のように穏やかな表情をしていた。籠から衣類を取り出す度に、彼女の華奢な肩からグレーのワンピースのストラップが落ちたが、構わず無心に作業を続ける。普段はすっきりまとめられた黒髪が顔にかかり、その間からかすかに睫毛が見える。髪は風に乗って遊び、私のところまで香りを運んでくる。洗剤の匂いと混じりあって、私はいてもたってもいられなくなった。

♬♬♬

 麻里子と私は結婚してから二人で暮らしていたが、私たちのマンションから近かったこともあり、しばしば私の実家を訪れた。高級住宅街の中でも目立つ打放しコンクリートのキューブ。正面の壁面上部には細長い採光窓が開いている。玄関を入ると吹き抜けになっており、エントランス全体に光が届く。私たち家族は地下にある2つの防音室で練習や作曲を行う。母は数年前からイギリスの楽団でコンミスをしているため、この家にはいま父と弟だけだ。母が日本にいた時はcanoのマネジメントは夫婦で協力して行っていたが、今では麻里子が専属アシスタントとなっている。しかも彼女の会社の仕事ではなく、身内としてである。彼女にとって職場、加納邸、自宅を行き来する生活が始まった。

 その日は母が休暇でイギリスから帰ってくる日だった。夜には家族で食事に行くことにしていた。麻里子は父との相談もあって先に実家に到着していた。私も仕事を早上がりして向かった。家に入る前からかすかに楽器の音が聞こえる。玄関ホールで靴とコートを脱ぐ。どうやら右手の廊下から流れているようだ。と、いきなり音が途切れる。小休止に続いて第2楽章が始まる。遠くからでも精確さに刻まれていることが分かる明瞭なピアノの音。私はこの音が好きで結婚したのかもしれない。チェロは優しく端正に主旋律をさらってゆく。シューベルトだ。低音部に優しく支えられたヴァイオリンはきらびやかに唄う。もっとよく聞きたくて廊下を進み出して思わず立ち止まった。廊下の壁に取り付けられた縦長の鏡に父と麻里子が映っていた。母は奥にいるのだろう。曲は大きく盛り上がって一旦止まる。2人はまるで何十年も一緒にいたかのように、目線を交わしていた。ピアノの屋根の向こう側に、麻里子の顔が小さく見える。真剣そうに眉をひそめるが、瞳は興奮で輝いている。頬や首元はかすかに上気している。私には一度も見せたことのない高揚だった。息が詰まる。3人の音は完全な調和を作り出し、私の体に襲いかかった。押しつぶされそうになった私は、音を立てないように鏡に背を向けて再び玄関へ向かった。

 それから間もなく再び実家に立ち寄る機会があった。用事が済むと迷わずあの廊下の鏡を見に行った。誰もいないと分かっていても、周囲を窺ってから覗き込んだ。当然のことながらそこには何も映っていない。それを確認すると、空っぽな客間に入りピアノの鍵盤蓋を開ける。譜面台にはあの時のピアノ・トリオの楽譜が残っていた。耳について離れないあの旋律を片手で弾く。そのうちに左手も動き出し一人で伴奏まで弾いてしまう。有名すぎる第2楽章、プライヴェートで演奏するには少し退屈かもしれない。何かの演奏会のために練習していたのだろうか?そうであってほしい。けれど、あれほどぴったり合わせられるなんて、普段から一緒に演奏していなければできないことだ。雑念が入り込んだ私の演奏はテンポ・ルバートも度が過ぎるほど。上限も下限もなく強弱が跳ね回る。深呼吸、姿勢を正し、集中して音の粒を揃えるが、音は震え、ねちっこい残響となる。打ち消しても現れるおぞましい幻影のせいで、次第にタッチが強くなっていく。

 そしてあの日、再び客間からピアノの音が聞こえた。しかし1人ではない、たしかに2人分鳴っている。最初は父の姿が見えず戸惑った。ピアノの屋根と父が着ている黒いスモックが重なってよく見えなかったのだ。私は今回も鏡から目を背けたが、音からは逃れられなかった。もはや自力で立つことができなくて、壁にもたれながら2人に見えないところまで足を引きずっていき、息を殺して聞いていた。ずっしりした父の音の上で、麻里子の明快な音がはずむ。しっとりしたワルツをコケティッシュに、きびきびとしたアレグロを軽薄なほどあっさりと弾いてみせる。信じられなかった。神々の戯れかと思われるほど喜びに満ちた音色が家中に響き渡る。私の両足はすぐにでも足を踏み入れられるはずの小部屋から拒まれた。2人の姿を想像すると内臓を抉られるようだった。何より、あの顔を、恍惚に浸った麻里子を思い浮かべることが——冷たい壁に頬をぴったりと当てると私の動悸は静まり、2人の天上の音楽は心地良い圧迫によって体のこわばりを解いていった。いつまでも聞いていたい気持ちを封じ込め、私は玄関までそっと歩み寄り、泥棒のようにこの家を出た。

 その日は自宅に帰ることができなかった。

♬♬♬

 それから1週間、私は相変わらず職場に泊まっていたが、麻里子から連絡はなかった。色々な理由が考えられたが、どれも気が重くなるものばかりだった。とにかく麻里子と顔を合わせたくなくて家を出てきてしまったが、さすがに連絡はするべきだと思い直し電話をかけた。不規則な仕事のため麻里子の電話が繋がらないことは少なくなかったが、3日以上出ないことは初めてだった。仕事中も電話が来ないか気にしてしまう。麻里子が今どこで何をしているのか、誰とどんな話をしているのか、自分のことをどう思っているのか、考えては眠れない夜が続いた。意を決して、2週間ぶりに自宅へ帰ると、彼女の荷物がなくなっていた。カーテンがぴったりと閉められて家具だけが残された薄暗い部屋は不気味だった。不安を打ち消すために彼女の行方の手がかりを探した。引き出しの紙類や戸棚に収納された小物を全て出し、クローゼットに残った服を調べた。あらゆる扉を開けて隅々まで探し、ベッドをひっくり返した。シーツからかすかに彼女の匂いがした。それでも何も見つからなかった。

 気力が途絶えてダイニングテーブルの上に寝そべっていると、固定電話が鳴った。この電話にかけてくる人など、ほとんどいないはずなのに。受話器を取ると父の声がした。

「麻里子はさぞ父さんを喜ばせているだろうね」

気づくと嫌味を言っていた。

「ともき、なぜ麻里子さんが出て行ったか分かるか」

「僕にはもったいない妻だったからでしょう」

短い沈黙。

「彼女は失望したんだ、一度として正面から自分を見てくれない夫に」

「やめてください!自分の過ちなど分かっています。それでも、彼女を愛したかった……」

長らく流していなかった涙が顔中を濡らす。鼻水も涙も口に入ってくる。妻の名もうまく呼べないほどに。板張りの床を掻きむしって爪が割れる。絶対に手に入らないと分かっていても、そばにいてほしかった。理由などない、ただ愛おしいからだ。夕方の薄明りに染まる部屋の中で、小さな顔がちらりと振り返り、走り去っていく姿が見える。この腕からすり抜けても、私は残像をいつまでも抱いているだろう。そんなに微笑みかけてほしくなかった。退屈そうな顔で、不満を漏らし、罵ってほしかった。だが今はもう、父のものになってしまった。父への憎しみが溢れ出す。私の感情の対象ではない、別の世界の生き物だと思い込もうとしてきた。それは欺瞞だった。私の思考、行動、人生には常に父が割り込んで阻んできた。そして愛さえも。

 ヘリンボーンの床に散らばったグラスの欠片が私の足元で砕け散った。

♬♬♬

 ウィーンのプラ―タ―公園、新婚旅行で歩いたところだ。8年前も夏に来て暑かったことを覚えている。いつもおとなしい麻里子がこの時ははしゃいでいた。道を歩くだけで楽しそうだった。そう、この道だ。アイスクリームを食べながら、あっちの池を見てみようと話していた。すいすい泳ぐカメを見つめながら池の周りを歩いていると、彼女がコーヒーを持ってやってきた。こっちがミルク入り。差し出してきたのは母だった。

「長旅だったでしょう。ともきがこっちに来てくれるなんて珍しいから嬉しいわ」

「久しぶりに休みが取れたからね」

「楽しんでいってね。悪いんだけど、明日ロンドンへ戻らないといけないの」

母は当地で開催されたワークショップのため、一時的に滞在しているのだった。せいきさんは元気?最近あまり電話できていなかったの。前に電話した時は夏バテ気味だったから、なんだか心配。そうそう、この前はるみがウィーンに来てたのよ。あの子、公演の途中でお腹壊したらしいわ、いつまでたっても自己管理が甘いわね。ともきも体調には気をつけなさいよ。麻里子さんが出て行ってから大したもの食べてないでしょう。麻里子さんと言えば、彼女この前仕事でロンドンに来ていたから、食事に付き合ってもらったの。ほんとはもっとしゃべりたかったのだけど——

「あら、麻里子さん」

母のつぶやきに振り返ると、観覧車の方へ向かっていく日本人女性が見えた。髪は短く、髪色は明るくなっているが、あの後ろ姿はたしかに……母を置いてとっさに彼女の方へ走り出す。何か月ぶりだろう。懐かしさに胸が詰まった。日本では結局会えずじまいだった。伝えたいことがたくさんある。観覧車の下の土産物店の入り口で追いついた。声をかける前に腕を触ってしまった。本物かどうか自信がなかったのだ。女性はびくっとして首だけ回してこちらを見る。やはり、麻里子だ。目を大きく見開いたまま表情が固まる。きっと私もそんな顔をしているのだろう。彼女はちょっと躓きながら身体をこちらへ向け直し私の目を見上げる。彼女の小さな鼓動を感じる。耳元に甘い香りが漂う。次の瞬間、強い閃光と轟音を感じ、視界が真っ暗になる。もう離さない。遠くから甲高い母の声が聞こえる。

 

***

Frederic Leighton(1830-96)《Flaming June》(1895) より

楽家とセレブの話をしたくて『のだめカンタービレ』とらららクラシックのテンションで書き始めましたが、だんだん夫婦の話もしたくなり『やさしい女』や『他人の顔』の主人公のモノローグっぽいメロドラマになり、最後のオチのつけ方が分からなくて『第三の男』と『欲望の曖昧な対象』になってしまいました。ピアノトリオはもちろん『バリー・リンドン』で使われた第2番第2楽章、連弾はブラームスのワルツです。ショパンバルカローレも意識しながら書きました。

木陰での出来事(omnibus#1)

 私の友人の話をしましょう。

 彼女は私が中学校の時からの友だちです。とても明るく快活で、本当にすぐに人と打ち解けることのできる良い子でした。人と話すのが苦手で陰気な私にもすぐ話しかけてくれました。中学を卒業してから学校も進路も別々になりましたが、それでもなぜかずっと仲良くしてくれています。彼女は私にとって太陽のような存在です。といっても、私の命を支配するような強烈な光ではなく、落ち込んでいる時に肩にそっと手を置いて、生きる元気をくれるようなささやかな希望の光です。思春期の頃の私は本当に自分に自信がなくて、文字通りいつも下を向いているような子でした。そんな私の良いところを見つけてくれたのが彼女です。彼女が話しかけ、励ましてくれなければ、私は一生下を向いていたでしょう。彼女自身は、その明るさが美しいほどでした。いつも笑顔を湛えた頬はりんごのように赤く、きれいに揃った歯は輝いていました。少しぽっちゃりした顔に大きな黒い目。スポーツが得意で中学の頃は陸上部に入っていたのを覚えています。彼女と一緒にたくさん走りました。夜中の校舎にいるのが見つかって逃げ出したり、赤信号になりそうな横断歩道を全速力で渡ったり。怒られることもいっぱいしました。体育館の屋根の上に登ったり、ゲームセンターでこっそりお酒を飲んだり……もう二度と体験できないでしょう。

 彼女のことを思い出すとき、なぜかいつも食べ物のにおいがします。真夏の夜のバーベキュー、お祭りの屋台、家族で行く焼き肉屋、ショッピングモールのフードコート。それはきっと私が育った地方の雰囲気そのものでしょう。記憶の中で、ワックスとカビ臭い学校の廊下にいる彼女が見えるのに、なぜかそこには油と煙に満ちた食べ物のにおいがするのです。小さい頃は嫌いで仕方なかった地域の文化も、彼女と一緒にいると楽しいと思えました。それでも私は高校を卒業してからずっと東京に住んでいます。彼女がいなければ、地方の生活にはやはり耐えられなかったのでしょう。彼女は、地方によくありがちな少し乱れた若者であり、浅薄で選り好みしない趣味の持ち主、何より友だちを大事にする人でした。その中で、もちろん恋もきちんと経験するわけです。彼女は自分と同じように明るく楽しい人を好きになります。10代の頃は1年ごとに恋人が替わり、この地域の早婚に倣って、23歳で結婚しました。けれど、たくさんいた彼女の恋人の中で一人だけ、なぜ彼女が選んだのか分からない人がいます。

 彼と私の友人の話をすることにします。

 それも私と彼女と同じ中学に通っていた子でした。彼はトニと呼ばれていました。トニと彼女と私は、1年生の時に同じクラスでした。3人で一緒にいることはついになかったけれど、それぞれ仲良くしていたと思います。私が住んでいた駅前はそれなりに裕福な家庭が多かった一方で、彼女とトニが住んでいた線路の向こう側は工場労働者のエリアでした。生きることに命をかけているような彼女に比べて、トニは何かを諦めたようなところが言動の端々に見られました。2年生になってもトニとは同じクラスでしたが、1年の時の担任の先生が彼を心配して私に様子を聞いてきたことがあります。きっと担任には、トニがいつ死んでもおかしくない子くらいに見えていたのでしょう。非常に無気力であることと自殺することとは決して同じではないのに。トニも他の子と同じように、毎日部活に行って、勉強もある程度頑張り、友だちとよく遊んでいました。そういえば、彼も私の友人と同じ陸上部でした。

 トニと私の友人が付き合っていたのは私たちが高3の時です。私は大学受験、2人は就職と、精神がすり減る時期でした。いえ、本当のところは、精神がすり減っていたのは私だけで、2人はそんなに大変なことは何もなかったと彼女から聞いています。彼らはとてもありきたりな楽しそうなカップルだったようです。放課後は毎日のように一緒に帰り、休みの日には映画に行き、夜道を抱き合って帰るような。けれどトニが彼女を好きだと言うことは一度もありませんでした。それが私には不思議でなりません。どんな人でも彼女を好きになります。確かに典型的な女性としての魅力には欠けるでしょうが、あんなに明るく元気をくれるような人を私は他に見たことがありません。私の友人が彼に付き合ってほしいと言った時、トニはただ「君と一緒にいると楽しい」と曖昧な返事をしただけでした。別に彼女もそれで満足したわけではありません。彼が自分を好きになるように努力しました。おとなしい子が好きなのかと思って、彼の隣ではあまりしゃべりすぎないようにしてみたり、髪の長い子が好きなのかもしれないと、夏だけど髪を切るのを我慢してみたり。誰にでも通じる(と私は思っている)彼女の魅力が、どうやらトニにはあまり通用しないのです。トニは彼女を鬱陶しがったりはしません。彼女がそばに来ても嫌がりません。でも、本当に彼女を好きだとは言わないのです。彼女が痺れを切らして、どうして好きでもないのに付き合っているのと尋ねると、浅黒い頬に温かい笑みを浮かべて「楽しいから」と。私には2人がどうして1年近くも一緒にいられたのか分かりません。確かに一度くらいは自分が損をすると分かっていて恋愛をしてもいいのでしょう。けれどその相手がトニ?小学生の頃から知っているけど、私の友人が惹かれるほど魅力的には思えない。彼女よりもっと地味な女の子で、彼をとても好きになってしまった女の子がいたことはあります。結局その子も振り向いてもらえずに終わってしまいましたが。でも私の友人は人気者です。なぜ?

 先ほど私はもうずっと地元に戻っていないと言いましたが、時々実家に用があって帰ることはあります。そんな時は、彼女をはじめとした数少ない幼なじみたちに会います。そしてその度に、離れていた時間の大きさを思い知るのです。今から5年ほど前、10年ぶりにトニと再会しました。彼女の結婚式でも見かけなかったのに、地域で一番大きなモールの映画館で偶然再会したのです。私の見た目は中学生の頃からだいぶ変わっているはずなのに、トニはすぐ気づいてくれました。トニはと言えば、あまり変わっていませんでした。彼の白い歯が真っ先に目に飛び込んできたのを覚えています。私はぎこちなく笑っていた、と思います。もう彼女は結婚しているというのに、過去をいつまでも引きずっていたのでしょうか。トニはまるで休日を挟んで月曜日に学校で会ったクラスメイトのように何のためらいもなく話しかけてきました。私にはそれが嬉しかった。地元の友だちとの距離が、仕方ないものだと分かっていても、実はとてもつらく感じられていたのです。トニと連絡先を交換している時、ある思い出が心に浮かびました。席が隣同士だったときのことです。授業中に彼が制服のポケットから何かをこっそり出して私に見せてきます。「スマホ、持ってきちゃった」。大変と勝手に慌てる私を見て、トニは笑って「嘘だよ、これはカバーだけ」とからかってみせました。そんなクラスメイトとの他愛ないやり取りをいつまでも覚えているのは、その頃から友だちが少なかったせいかもしれません。東京へ帰った後もトニとのやり取りは続きました。それから時々二人で会っては、くだらないおしゃべりで盛り上がっていました。そんな関係が数か月続いたある日、彼女が子どもを産んだのでお祝いに行くことになりました。彼女に似て、赤い頬でよく笑う男の子でした。知らない人ばかりなのに、泣きもせず抱かれています。すやすやと眠る顔はとても愛らしかった。自分も子どもが欲しいと思ってしまうほど楽しい時間でした。あまり遅くならないうちに帰ろうと彼女のマンションを出ると、道をこちらへ歩いてくる小柄な人影が目に入りました。だんだん近づいてくる人影は、知っている顔だと気づきました。トニでした。

 あの時のことは今でも後悔しています。周りが見えていないのは中学生のときから変わっていないと。彼女と赤ちゃんに会えたのが嬉しかった私は、ついトニを彼女に会わせたくなりました。彼が結婚式にも来ていなかったことを忘れたとでも言うのでしょうか。その時トニがちょっと顔をこわばらせていたのに気づかなかったのでしょうか。そんなはずはないのに。2人が会えばきっと打ち解けると思ったのか、連絡もしていないから今日はやめようと言う彼を、私は少々強引に連れて行こうとしました。と、突然、エントランスの自動ドアが開く音がして私たちはそちらを振り返りました。ドアの手前には、子どもを抱いた彼女が立っていました。まだ3月で少し肌寒い日でした。

「リサ何してるの?トニ、久しぶりだね」

「あやか、出産おめでとう。なんのお祝いもないんだけど。それと遅れちゃったけど、結婚おめでとう」

「知ってたんだ。結婚式にも来てくれないで。私には二度と会わないつもりなんだと思ってた」

「ごめんよ」

「元気してた?もう何年も会ってないよね」

「うん。でもずっとこの辺に住んでたよ。あのさ、また改めてお祝いしに来てもいいかな?」

「………ううん」

「えっ、だめなの?」

「そう。トニはもう来ないで」

「どうして」

「私がいやだから。それだけ」

しばらく間があって、寒いからもう戻ると彼女は言いました。

「リサ、今日は来てくれてありがとうね。またおいで」

子どもを片手に抱き、空いた片手で私を抱きしめて、彼女は家に戻っていきました。その時私は気づいたのです。彼女は声をかける前から私たちの様子をずっと見ていたのかもしれないと。

 これが5年前の話です。それから、私は気まずくなってトニとは会わなくなりました。聞くところによれば、その後トニは地元を離れたそうです。そして彼女とも、これまでの関係とは変わってしまった。いえ、本当は私が気づいていなかっただけで、関係はずっと前に変わっていたのかもしれません。彼女の秘密の想いをようやく私も共有できるようになったのか、それとも私が気づいたことで何かが終わってしまったのか。どちらも合っている気がするけど、どちらも違うような気もする。それでも、彼女と会うのをやめるという選択肢は私にはないのです。

 

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José Malhoa(1855-1933) 《O Ciúme》(1923)より

中学生の時の思い出をもとに書きました。

ポスト・モダン特集 - 映画で楽しい人文書

 映画が芸術の一ジャンルであることが信じられない時期があった。今もそうかもしれない。けれど、身の回りには映画と伝統的な芸術ジャンルを同列に扱う言説があふれている。しかも映画を見れば見るほどそうなってきた。
 1回生の頃に読んだ3冊の人文書でも、小説と並んで映画が論の素材として使われている。1冊目、ガブリエル・ヘヒトの "Being Nuclear" は左翼の筆者が核の歴史を帝国主義の文脈に置いて見直している本だが、アメリカのポップカルチャーの具体例として映画や小説、コミックなどが次々と差し出される。2冊目の『男性性を可視化する』は男性ジェンダーを批判的に取り上げるというその趣旨だけで楽しくなってしまう本。美術、文学、映画、バレエなどを取り上げた8つの論文から成っている。3冊目はクリスティン・ロスの『もっと速く、もっときれいに』という、タイトルの訳がうっとりするほど美しい作品。(原題は Fast Cars, Clean Bodies)装丁も気合が入った翻訳本だが、文学や映画をふんだんに使った豪華なスタイルも面白くて、訳者曰く「第一の意義は、単純であるが、文学作品や映画の紹介にある」ほど。何より "In Claude Chabrol's second movie, Les Cousins(1959), a young provincial boy called Charles arrives in Paris to study law, and shares an apartment with his cynical, wordly, 'Nietzschean' cousin, also a law student." から始まる本文は映画好きには死ぬほどうれしい。

 

#1 Gabriel Hecht "Being Nuclear"

 この本では核と帝国主義との関係が論じられている。おおまかに言うと、帝国主義は第二次大戦後も続いており、旧来通り資源は植民地国から採掘されるがウランや核の原料も例外ではない、といった内容である。広島の原爆がコンゴのウランから作られたという事実はその好例である。また、もう一つの前提として、核保有政策を進める国家は国民に対して「核の平和利用」説をプロパガンダして、核エネルギーが身近にあることへの抵抗を減らそうとしてきたことが挙げられる。
 本題の Beat the Devil (1953) の話に移ろう。この映画を知ったきっかけは紛れもなくこの本だが、本文の中ではたった1行しか紹介していない。一応引用しておくと……

Such perceptions infused Cold War pop culture, which sometimes placed its atomic fixations and "savage Africa" in the same narrative frame. Uranium mines provided the most legitimate reason for setting atomic stories in Africa. In the 1953 film Beat the Devil, Humphrey Bogard and Gina Lollobrigida set off with a band of rogues to stake a uranium claim in British East Africa. (p.17)

 この映画(そして原作の小説)のストーリーの中では、ウラン鉱は金鉱や油田などと同じように扱われている。それは当時のアメリカ文化が「核の大衆化」とでも言えるような風潮の中にあったことの証拠だというのだ。
 ちなみに、脚本はカポーティハンフリー・ボガートジーナ・ロロブリジータが出ており、話題性のある映画かと思う。登場人物の設定はかなりめちゃくちゃで、成功を夢見る二組の夫婦のもつれ、といった感じである。原作はイギリス人によるもの(Claud Cockbum)。彼が左翼だったためか、台詞がいちいち現代風刺になっていて、かなり政治色が強い映画でもある。"Being Nuclear" の文脈で見るべきところがあるのならば、劇中でのウラン鉱の扱いである。この話では二組の夫婦がメインキャラクターだが、片方は品の良さそうなイギリス人の若夫婦、もう片方はアメリカ人の詐欺師の夫婦である。4人はアフリカへ向かう船を待つ港で出会うのだが、若夫婦の旦那の実家がアフリカに土地を持っているという話を聞いた詐欺師たちは色めき立つ。どうやらそれはウラン鉱らしいのだ!ここで注目したいのは、ウラン鉱がかつてのプランテーションなどと同じ扱いになっているところである。だだっ広い土地など持っていても仕方がない、税金を取られるだけだわとぼやく若妻も、それがウラン鉱なら…!と目を輝かせる。核利用は、本来人類の英知が成し遂げた偉業であり、あるいは知を過信した人間たちの愚行でもあった。しかしここではそんな神秘的なヴェールははがされ、ウラン鉱は単なる高値の資源として話題に上るのである。よくできたプロパガンダではないだろうか?

 

#2 熊谷謙介『男性性を可視化する』

 この本の中では映画そのものを題材にした論文はないが、映画が出てくる箇所はたくさんある。古屋耕平による「第4章 男らしくない西部劇小説『シェーン』」もそうだが、ここではやはり編著者の熊谷謙介がロマン・ガリを扱った「第6章 母、マジョリティ、減退する性」を見てみたい。
 ロマン・ガリはフランスの小説家である。外交官・航空士としても活躍した。「波瀾に満ちた人生であり、第二次世界大戦での航空士としての活躍もあって、「英雄」「冒険家」「プレイボーイ」という称号が似合う男である。そのためその男性的な側面にばかり注目が向きがちのように思われる」(191頁)ということで、この章では「男の中の男」であるロマン・ガリに女性的な側面を見つけることを試みている。
 熊谷さんの指摘するロマン・ガリの男性性の特殊さは、この文章を読んでもよく分かると思うが『母との約束』を見るとかなり分かりやすいと思う。この映画は彼の生涯を母との関わりのみに焦点を当てて描いている。映画の中で、母の印象的なセリフがある。「男が闘うべき理由は3つ。女、名誉、そしてフランスよ」まさにロマン・ガリの男性的側面に注目したくなるような発言である。こうした言葉を浴びせられて育ったロマンは、しかし、母の言う通りの「男の中の男」になれずに苦悩する。最後には母の願いを全て実現し、母の期待に応えることが人生の全てになっていた。人生の曙で母と交わした「夜明けの約束」を守るために……作家についての一面的な解釈かもしれないが、この見方は男性性を考える上でやはり魅力的だろう。熊谷さんもわざわざ写真まで載せて映画の宣伝をしてくれている。「…ピエール・ニネとシャルロット・ゲンズブール主演で、二度目の映画化も果たした(邦題は『母との約束、二五〇通の手紙』〔監督:エリック・バルビエ、二〇一七年〕)」(200頁)
 ところで熊谷さんの文章を読んでいると、第三波以降のフェミニズムっぽいなと思う。つまり、男性中心主義的なマッチョな価値観で女性のエンパワメントを考えるのはやめて、もっとケアし合う方向に持っていきましょう、というもの。ロマン・ガリはまさしく現代のフェミニズムと通ずるところがあるのかもしれないが、それを男性が言うことの暴力性も熊谷さんは指摘している。

 

#3 Kristin Ross "Fast Cars, Clean Bodies"

 本書はジャック・タチ再評価本と言ってもいいくらい、タチの映画を取り上げて論じている。
p.15「本書を通じて筆者がジャック・タチの映画に立ち戻るのは、タチの映画によって、物が人々の身振り――機械的な手順にまったく親しんでおらず、多くの場合アメリカ映画から習得せざるを得なかった身振り――を押し付ける空間のなかでますます繰り広げられるように見える日常生活がはっきりと感知できるようになるからである。」
「戦後フランスの近代化に関する偉大な分析家ジャック・タチ」(60頁)とか「採算が取れる戦後ただ一人の監督であるタチ」(61頁)とか、もうべた褒めである。ロスにならって、ここでは『ぼくの伯父さんの休暇』Les Vacances de Monsieur Huro、『ぼくの伯父さん』Mon Oncle、『プレイタイム』Playtimeの三作品を見る。
 ロスはこの三作について要約してくれているので引用する。
p.237-9「ちなみに思いがけないところに若いカードルや新しい組織の様式に関する素晴らしい解説があるのだが、(…)それはジャック・タチの作品である。タチの主要な三作品すべてにビジネスマンが出てくる。『ぼくの伯父さんの休暇』では、背景音をなすラジオにビジネスニュースや「成功をもたらす書類鞄」のような製品の広告が常に含まれている。(…)『ぼくの伯父さん』では(…)子どもは、工場の所有者である父親よりもエキセントリックで陽気な伯父さんを好む。『プレイタイム』では、こうした単純な対立は急速に進む近代化によって無意味なものにされる。」
三作は監督演じるユロ氏が中心的なキャラクターになることで繋がってはいるが、中身はかなり違ったものである。ユロ氏の役柄は、一作目ではただの変な人、二作目では主人公の男の子の伯父さん、三作目ではまた変な人として現代社会を見つめるポジションに戻っている。
p.239「実際に、『プレイタイム』の頃には、中心的な登場人物としてのユロは完全に機能しなくなり、レアリスム的に観察される短いカットに取って代わられ、ただユロはそこを通るだけである。タチの初期作品における「伝統的」パリと「近代的」パリの先鋭的な対立が平準化していくことで、徐々にユロも「平準化」していく。ユロという人物が次第に『プレイタイム』に「組み入れられていく」のは、フランスの日々の生活が次第に標準化していくことが物語の水準で反映されているからである。」
「「伝統的」パリと「近代的」パリの先鋭的な対立」は『ぼくの伯父さん』で明快に示されているが、『ぼくの伯父さんの休暇』では近代的なリゾート地の様子を写すことがメインになっており、読み取ろうとしなければ「対立」などは見えない。そして『プレイタイム』に至っては「平準化」されて対立は解消され、近代化されたパリの風景だけが当たり前に写される。さすが「採算が取れるただ一人の監督」だけあって、タチは非常に分かりやすく「対立」を示してくれる。馬車と自動車を並べる手法は、第一作、二作で共通している。第二作目では、そこに自転車も加わる。
 ユロ氏というとても魅力的な人物は、ある種の二面性をはらんでいる。「どう見てもユロという登場人物は会社人間や組織人の「他者」の役割を果たしているのだが、他方で彼はそれと同程度に組織人の分身でもある」(237頁)これは第一作目でよく示されている。車も馬車も何となく乗ってみるがうまく操作できない。テニスもダンスも、一通りの社交はこなすが、どこか奇妙である。滑稽な挙動だが、常にスーツを着ており組織人であることを象徴している。しかし第二作目以降は「他者」の役割に徹してしまっている感が否めなく、個人的にはそこが悲しいところではある。
 この三作は共通して「音」が面白い。第一作目は言わずもがな。映画の通奏低音であるテレビの電気音をはじめとして、ドアの軋み、自動車のガチャガチャした音など、耳障りな音に彩られた作品である。特にドアの軋みは三作に共通している。これこそアメリカ化(近代化)する環境に順応しようとして「慣れない機械的な手順を押し付けられたフランス人たちの身振り」が呈する違和感を象徴するものではないだろうか。

 以上3冊から5本の映画を見た。自分は映画をまとめて見たがるので勝手に〇〇特集と称して一気見しがちだけど、この特集はなかなか終わらず3年くらいかけてしまった気がする。
 最後に、これらの映画を見る中で自然と、モータリゼーションと結びつけてしまっていたことを記しておきたい。クリスティン・ロスの著作の題名にも車が含まれているように、彼女はこの本でモータリゼーション論を長々と展開している。

p.56-7「とはいえ乗用車は、鉄道とは異なり、品物を輸送することは稀である。ただ、乗用車は労働者が商品である限りにおいては労働者を輸送する。人民戦線以前は自動車が労働者に好まれた輸送手段であった。」

『ぼくの伯父さん』では、機能性に特化した郊外の一軒家に住む主人公家族が自家用車を乗り回すのに比べ、下町の集合住宅に住むユロ氏は自転車で移動する。ピカピカで全自動の邸宅に、ユロ氏が自転車を押して入っていくシーンはまさに「対立」を象徴している。また、「人民戦線以前は…」という文章で思い出すのは『モラン神父』や『ヒロシマ・モナムール』でエマニュエル・リヴァが自転車に乗っている姿である。うまく近代化できないことの現れである自動車の故障は『ぼくの伯父さんの休暇』で何度もコミカルに登場したが、『悪魔をやっつけろ』の中でもさりげなく挟まれていたのだった。ロスによれば、フランスでは1960年代になっても自動車は誰にでも手が届くものではなかったそうだ。アメリカにおいてのみ、車は庶民の日常に組み入れられたものだった。(46頁)『母との約束』でも、幼いロマンに向かって母が「お前は将来自動車を手に入れる」と予言する。(もちろん第二次大戦前のこの時期は本当に高級品だったわけだが)
 嫌いな車の話をこんなに色々聞かされると、もはや自動車が現実から離れた「奇妙で幻想的」なものに見えて逆に魅力的に感じてしまうのである。

 

〈作品情報〉
Gabrielle Hecht "Being Nuclear :Africans and the Global Uranium Trade" MIT Press, 2012
熊谷謙介・編著『男性性を可視化する 〈男らしさの表象分析〉:神奈川大学人文学研究叢書44』青弓社、2020年
クリスティン・ロス著、中村督・平田周訳『もっと速く、もっときれいに 脱植民地化とフランス文化の再編成』人文書院、2019年
ジョン・ヒューストン監督『悪魔をやっつけろ』Beat the Devil(1953)
エリック・バルビエ監督『母との約束、250通の手紙』La Promesse de l'aube(2017)
ジャック・タチ監督『ぼくの伯父さんの休暇』Les Vacances de Monsieur Huro(1953)
同『ぼくの伯父さん』Mon Oncle(1958)
同『プレイタイム』Playtime(1967)

Two Guitars

 木枯らしの吹く晩に、松の枝が風に身を任せる。空は朱色に張り裂けて、大きな雲が逃げ惑う。並木道を辿るには車輪の跡を探せばいい。まとわりつく焦げ茶の葉は、あなたの背後で舞い上がってゆく。塵を避けようとかざした右手をそっと下ろし、慎重に目を細めに開けると、くたびれた男たちが木組みの家の前に座っているのが見えるだろう。汚らしく粥を食う老人、泥だらけになった猫を抱く子ども、木箱を囲んでカードをする4人の若者たち……そして目のくらむような焚火の陽炎に浮かぶ長い髪の少女。腰や腕に連なる金属製の飾りは鈍い光を放っている。彼女は座って年上の女と話しているようだ。甲高い笑い声が下品に響き渡る。中年女は急に立ち上がって、小走りで左手へ消えていく。残された少女はおもむろに腰を上げ、うつむきながら着ているものを直す。赤いベストに褐色の長いスカート、小刻みに揺れるたくさんのメダルやリング、全身を大きなショールで覆っている。と、突然ギターがかき鳴らされる。ショールが地面に滑り落ち、少女は勢いよく回りだす。速く激しい音楽に合わせて、長いくせ毛が腕や背中に絡みつき宙に舞う。裸足のつま先が重い襞の間から見え隠れする。スカートをはね上げては落ちる足首には、銀の鎖が幾重にも巻きついている。

 

 小屋の中では小さなマントルピースの下の明かりが空気を温めている。暖炉の前では3人の将校が彼らの腰ほどもある背の高い木製テーブルを囲んでいる。足元には木箱が置いてある。3人のうちブロンドの男がその箱を暖炉の柵に押しやる。彼らのブーツはどれも昨晩の雨で汚れている。テーブルの脚は比較的細く、天板の真下に蜘蛛が巣をつくっている。テーブルの上ではグラスからこぼれおちた水滴で埃が固まりかけている。ブロンド男は制服のボタンを外し、向かいに立つ同僚のような二人に話しかける。

「最近は何人?」

「5人」

「6人」

「こっちは9人だ」黒髪の男が答える。

「負けたね。さあ、君から話せよ」

「一番近いのでは19の娘でね…」

めったに人前に姿を現さない子だった、俺も1か月前にはじめて会ったんだ。偶然、とあるお茶会でね。いわゆる深窓の令嬢というやつさ。うつむきがちで、睫毛の影で顔が曇っているような。お前の好みではないな。しかしいいものだぜ、何しろ生娘なんだから……しかも公爵の娘ときた。父親はこの子を目に入れても痛くないというような有り様で、一人娘だからな、溺愛していたよ。決して外へ一人で出さないし、毎朝毎晩、彼女の部屋に様子を伺いに行くそうだ。そんな箱入り娘だったが、少し構ったらすぐになびいてくれた。父親の目を盗んで会いに来てくれたよ。一途に愛してくれる。うぶだから、俺が普段何をしているかなんて思いもよらない。傷一つないきれいな身体だ。恥ずかしがって、小さな白い手で隠そうとする。俺は彼女の誰も触れたことのない花びらを一枚一枚ちぎっていった。すごくかわいい声で俺の名前を呼ぶんだ。夜が明ける頃、潤んだ目をはじめて上げて、もう他の人には、この身もこの心も渡せないわってね。それはもう、かわいいよ。全身全霊で俺を好いてくれるから。

「でもお前、もうすぐ地方に配属されるんだろう。」

「ああ、好都合だね。……首都で良い思い出ができた。うれしいよ。」

「それで、ここではもう見つけたのか?」

「いいや」

「馬鹿だな、こんなところに女なんかいるわけないだろう」

「そうかな?ほら、見てみろよ」

一人でずっと話し続けた黒髪の男が指さした先には、あの長い髪の少女がいた。いまは落ち着いた曲に合わせて踊っている。ショールを体にしっかりと巻きつけて小さな足踏みでゆっくり回る。大きな瞳が火に照らされてきらきら光る。さっとショールを広げ前へ踏み出す。地面に座り込み腕を大きく回す。彼女のくせ毛は、その大胆な動きよりも大げさに踊っている。少女は踊りに集中していて、腫れぼったい唇は半開きだった。

「そう、あんな女は首都のどこを探したっていない」

「悪趣味だ」

「何とでも。俺はあの娘に決めた」

「おい、やめとけよ」

「いいじゃないか、なんの損にもならないさ」ブロンドでも黒髪でもないもう一人の大柄な男がなだめる。黒髪はグラスを置き外に向かって歩き出す。一歩一歩わざとらしく踏みしめる。その間もずっと少女を見つめている。開け放たれた扉の影では、酔った小男が眠りこけている。扉がより大きく開くと、押されたはずみで横倒しになる。将校は小屋の表に出ると、ギターを弾く男の方へ反れていった。

 

 太い木の柱に寄りかかって、将校はそっと喧騒を伺う。客間の隅を見ながら胸元から小瓶を取り出し、赤い液体が入ったグラスに3滴垂らす。彼の視線の先には、小屋の持ち主の家に続く廊下があった。その暗闇から両手に布のようなものを載せて、少女が歩いてくる。目を伏せて少し早足で、まっすぐ将校の方へ向かってくる。唇は真面目そうに閉じられている。頭を振り顔にかかる髪を払って、持っていた絨毯を差し出す。男が絨毯を取り上げると、彼女の両手の上にサーベルが現れた。

「お忘れものです」

将校は鼻を小刻みに動かして笑い、ジプシー娘から受け取った絨毯を床に置く。サーベルを腰元に戻す。そしてテーブルの上のグラスを渡して中身を飲むよう促す。男の向こう側の壁にかかった絵に気を取られていた彼女は、言われるがまま飲み干す。

 馬車の近くで宴会は続いている。小屋から女が出てきて輪に加わる。将校からギターを取り戻した男の膝では、踊り疲れた子どもが眠っている。あの少女と同じ黒髪が扇状に広がっている。

「どうだい」

「完璧だよ」

「部屋はあったのか」

「空けさせたよ。当然のことじゃないか」

40くらいの男は、娘の頭をなでながら低くうなる。

「兄さんは、最後まで反対していた。まだ早すぎるって。」

「早すぎやしない、あの子はもう15だよ。義兄さんはどうかしてるんだ」

「みんなそう言う。俺だってそう思うさ……だから怖いんだ」

焚火がいきなり大きく燃え上がり、二人は身震いしながら無言で細い目を交わす。

 

 

 

 暖炉の火が金属の柵をチリチリと焼く。マントルピースの上には酒瓶が山と積まれ、熱い空気が小屋を満たしている。野太い声が勢いをつけて、女たちは慣れない農民の踊りをする。彼女たちは長い髪を白い布で覆っている。客間の幅いっぱいに伸びた長テーブルの上を猫が走り抜けていく。真ん中には、黒く顎のところまで伸びた髪の将校と、クリーム色のヴェールに包まれたジプシー娘が座っている。音楽が止み、花嫁の父親と思われる大きな腹の男がテーブルの上に登る。赤いしかめ面がおもむろに口を開け、口上を述べる。立ち上がった二人のイスが階段になり、将校と少女もテーブルの上に押し上げられる。ベールをめくると赤い頬の娘が笑みを浮かべている。上目遣いに男を見つめる瞳は琥珀のように輝く。暖炉の火を片目に二人がキスをした途端、人々の歓声が上がった。その真下では黒猫が魚のマリネに食いついている。

 日付が変わる頃、将校が表へ出ると後から少女の父親もついてきた。彼の用が済んだのを確認すると、小屋の西口に連れて行く。一番広い寝室に案内する。中に入ると、飾りつけられた寝台が目に飛び込んでくる。隣には小さなテーブルがあり、上にランプが置いてある。二つの椅子が向かい合わせになっている。父親は寝台側の椅子に先に座り、将校にも座るよう勧める。将校は席に着くなり、懐から紙の包みを取り出す。眉をひそめて包みをちらっと見ると、それをテーブルの上に放り投げる。同じく眉を寄せた父親は、ゆっくりと紙を剥がして中の札束を数えはじめる。将校は紙巻きたばこに火をつける。しばらくして父親は口を歪めて小さく頷いた。将校は勢いよく立ち上がる。たばこを泥で汚れた白いブーツで踏み消す。そのまま踵をかえすことなく部屋を出る。ガラスが砕け散る音がして、鼠がドアの隙間を走り抜けていった。

 

 

 

 眠りたい。このまま、世界が終わるまで目覚めないくらいぐっすりと。何重にも敷いた羽布団を一枚一枚通って、どんどん下へ落ちていって、地底の王国まで達するくらい、安心して眠りたい。同時に魂は、毛布を突き抜け屋根を破って天まで届く。地上に縛られず、この心は飛んでいける。この身を包む主からも、体中たぎるこの血からも。眠っているときは自由になれる………だめ、今日もだめ。眠りたいのに。

 背中で鼓動を感じる。殺したいくらい落ち着いて力強い鼓動を。だるい熱された息が首にかかる。ぞっとする。脚も、背中も、心臓まで硬くなる。昼間は式の用意で忙しくて、宴会の時にはもうくたくただった。そうしてベッドに入って、夜も疲れるばかり。ずっと、そうだった。荷馬車で暮らしていた時も。背が伸びはじめた頃、夜に、よく大きな男が隣で眠っていた。汗のにおい。排泄物のにおい。お腹に太い指が巻き付いて逃げられない。おでこに、長く絡まった毛が当たる。じっとりしてつっかかる肌が頬を触る。強く締め付けられているわけでもないのに、苦しいし息ができない、なにより、眠れない。父さんはぐっすり眠っている。手足がどんどん冷たくなる。彼の眠りを奪いたかった。今日もよく眠れなかったから、また明日も居眠りをして怒られるんだ。いつ、ゆっくり、眠れるんだろう………

 

 

 

 波に揺られながら、少女はもう高くなった太陽を見上げている。男はずっと反対側のデッキで仲間と話している。彼女は決して客室から出てきてはいけないと言われているが、船酔いがひどかったのだ。海を見るのも船に乗るのもはじめてだった。自分が引きちぎられて溶け出してしまいそう。再び猛烈な吐き気が襲ってくる。気を紛らわすために、目を閉じて思い出をたぐり始める。波の音、せせらぎ、潮風、冷たい真水、藻草、葦………小さい頃はよく川に入った。はじめは足を洗うだけのつもりで、濡れないようにスカートを脱ぎ、ブラウスも脱いでしまう。下着だけになって浅い川を下っていく。とうとう下着も脱いで泳ぎ出す。とっても気持ちよかった。川には自分ひとり。このまま波に飲まれてしまおうか。きっとあの男の元に居続けることはできないんだから。もっとひどいことになる前に、今ここでいなくなってしまったほうが……突然頬を叩かれて目が覚める。

「出るなと言っただろう」

部屋まで引きずられていく途中も吐き気が押し寄せてきた。結局船を降りるまでに何回も洗面器に吐き続けた。船が着き将校が部屋に迎えに来る。少女は慣れない様子で彼の腕に手を回す。デッキに足を踏み出した途端、彼女は気を失った。

 

 

 

 大通りから細い路地に入る。風の強い日には洗濯物が飛んでくる。水はけの悪い道を進む。布地の靴ならすぐにひどい臭いの水が染みてくる。顔に当たったシーツは足を拭くのにおあつらえ向きだ。気を取り直して歩き続けよう。古い看板が留金一つだけでかかっている。もっと強い風か雨が当たれば今にも外れてしまいそうだ。ギシギシと音を立てて、上部が腐って剥げた木の扉が開く。げっそりした顔の女が扉に寄りかかりながら体を半分見せ、汚いスカートをまくり上げる。ようやく歩きはじめたばかりのような小さな子どもが棒で犬を叩いている。犬は逃げ出し、子どもは排水溝に棒を突っ込む。路地に入ってどれくらい行くのだったか。扉に赤くバツが書いてある家が目印だった。そう、この二つ隣だ。そこは他の家より少し大きく、ガラス戸がきれいに拭きあげられている。小さな扉を開けて中に入ると、意外にも高い天井から照明が下がっている。赤い壁、暗い照明、奥には派手なドレスを着た老女が座っている。狭い階段を上がって廊下を進み、光の差す窓のほう、一番奥の部屋にあの少女が眠っている。

「起きれるかな」

あのギター弾きがささやくと、彼女は苦しげな声を上げる。男は暖炉の上の水差しを見つけて取りに行く。そこからコップに水を注いで手わたす。彼女の体を起こし水を飲ませる。

「何があったか話してくれる?」

「マクシム…私ね、やっぱりだめだったの」

彼と馬車に乗ってあの小屋を出たあと、海をわたって彼の任地まで行こうとしたわ。でも船の上ですごく酔って、その時はまだ気づかなかったの、でも降りようとしたら意識がなくなって……目が覚めたらどこかの部屋に連れてかれてた、とても寒くて狭いところ。そしたら、医者が来て、私をベッドの上に乗せて体を調べはじめたの。シーツがとても冷たかった……それで、私は、妊娠してるんだって…医者はそう彼に言ったわ。彼は怒っていた。近くにあったランプを手に取り思い切り壁に投げつけた。彼のことはずっと怖かったけれど、それよりもその時は寒くてとてもつらかった。医者を返した後、彼は歩けない私を強引に外に連れ出し、また馬車に乗せた。そうして気が付いたらここに売り飛ばされていたの。

「これからどうするのか、決めてるのか」

「いま起きたばっかりよ」彼女は首を振りながら軽く笑う。

「俺たちはちょうどこのあたりに来ているんだ。戻ってくるのはつらいだろうけど、」

「マクシム、どうしてここに来たの?」

ギター弾きの男は口をつぐむ。

「なぜ私を探しに来たの?本当に、わからないわ。アンナとエリカが待ってる。早く帰って。」

少女は男を立たせて、ベッドに立てかけてあった傘を持たせる。扉を開けて追い出そうとするが、男は留まろうとする。

「私、ここにいることにしたの。二度と帰らない。」

少女は男を部屋の外へ押し出して扉を閉める。鍵をかけてベッドに倒れ込む。無造作に広がった長い髪と浅黒い頬に一筋の光が当たる。カーテンの隙間から、雲の合間から、陽の光が差し込んでくる。

good, pretty girl - Promising Young Woman を見て

・色について、pretty girl

監督の色の感覚がとても好きだと思った。どぎついネオン、パステルカラーのネイル、ユニコーンカラーの髪。原色に光を当て白を混ぜ、全てが商品になり全てが美しくなる。これが映画のテーマである欲望の対象としての「女性」を象徴するものとなる。カラフルなロリポップをしゃぶる姿は明らかにロリータのオマージュであろう。リボンもワンピースも「女の子」を体現するアイテムだ。主人公の家や職場も現実離れしたかわいさがある。そしてキャリー・マリガンといういかにも「可愛らしい」女優がこの役を演じるのも一段と皮肉が効いている。

 

・医学部生、大学生

もちろん女性差別は全社会的な問題だが、世間体やコンプラに縛られない学生だからこそ最も直接的に差別が表現される。特に、今作は医師を目指す学生たちに焦点を当てている。医学部と言えば、入試の際に女子に不利な点数操作を行なっていた事件は記憶に新しい。女性の医師は日本ではまだまだ少ない。一方、看護師は女性がほとんどを占めている。映画の終盤、主人公がナースのコスプレをして復讐相手のもとへ行くのは象徴的だ。

主人公の親友・ニーナがレイプされる事件と主人公自身が殺されるシーンは対応しているわけだが、どちらもパーティーの参加者がかなり酒の入った状態で行われる。自分の大学でもかつてアルコールを使ったレイプ事件が起きて社会的な問題になった。(アルコール文化とレイプは親和性が高いが、必ずしも同じものではないと個人的には思う。)「羽目を外す」ことが許され性犯罪が「若かりし日の過ち」で片付けられてしまう特殊な状況が、人々に内面化された差別意識をあぶり出している。

 

・女性の間の分断、good girl

主人公と亡くなったニーナの同級生・マディソンは典型的な成功した女性だ。男ばかりのメディカル・スクールや医療業界をうまく乗り切り、賞味期限切れにならないうちに結婚することができた。医学部の中で数少ない女子の間でも分断が生まれる。マディソンにとってニーナのレイプと自殺は「うまくやることができなかった」彼女自身の責任にすぎない。むしろ、そういうことにしたい。ここで描かれる自己責任の考え方は現代社会を貫く原理だ。その中で主人公は頑としてニーナとの絆を守り切ろうとする。その絆が果たして「親友だから」というプライベートな理由によるものなのか、あるいは女性としての紐帯を意識したものなのかはわからない。いずれにしても主人公のそうした理不尽をなんとかしたいという思いは、マディソンや他の同級生からは子どもじみた執着か狂気としか映らない。

しかし一方で、レイプ事件が起こるまでは主人公やニーナも成功した女性であったはずだ。難関入試を突破し、かなりの知的能力に恵まれた女性。いわゆる「名誉男性」という存在だ。「名誉男性」という言葉には、男と同等かそれ以上の能力を持ち対等に渡り合える女性というイメージを持たせてしまうという欠点がある。実際にはそんな女性はほとんどいない。名誉男性と呼ばれる女性は、実際には、男の喜ぶことをしてその場にいることを許されているにすぎない。気遣いができること、女性らしい仕草ができること、猥談に恥じらいながら笑うことができること、レイプを見逃し一緒に楽しむことができること、触られても本気で嫌がらないこと…教養や知性がいくらあったとしても、一般的に女性に求められることと同じことを求められる。ある意味では「狭き門」かもしれない。そのくせ、いや、だからこそ、本人は娼婦や労働者階級の女たちを見下す。こうした能力が欠如していた故に主人公はドロップアウトした。そして外見だけは下層階級の女と変わらなくなっていく。ここにクラスに揺さぶりをかけようとする意図が感じられる。個人的には、むしろそうした点でこの映画が面白いものだと思う。

 

・love、愛の死

loveという言葉をめぐる問題ほど面白いものはない。主人公はかつての同級生ライアンと再会し、二人でいることの喜びを感じる。映画の結末に逆らって、もしも二人の関係が破綻しなかったら、という想定をしてみる。もしも主人公がライアンと結婚したなら。子どもを作って幸せな家庭を持ち、マディソンのように成功した人生に復帰して、あるいはこれまでの人生を間違いだったと考えるかもしれない。あるいはニーナの復讐を自分の家庭における自己実現として解消するかもしれない。ライアンは劇中の言動を見る限りでは、さほど女性の権利を擁護してくれそうにもない。主人公はライアンにどのようなloveを求めていたのだろうか?ライアンと話す時、主人公は柔らかく優しい声になっていた。これはgood girlとしての作り声なのだろうか、それとも…?

映画の中盤、道路の真ん中に立った主人公を俯瞰するシーンがある。ここで流れるのがワーグナーのオペラ曲 ”Liebestod”。「愛の死」と訳すことができるが、物語の文脈としては「愛に包まれて死んでゆく」というニュアンスが込もっているのだろう。映画のクライマックスは主人公が復讐相手に殺されるシーンだ。枕で窒息させられ「声も上げられず」死んでいく様はニーナの自殺の再現である。このシーンはたっぷりと時間を取っており、一人の人間が死んでいく生々しさが迫ってくるとともに、孤独に殺されていく悲惨さが強調される。この映画にこの曲を使う皮肉がとても好きになった。