古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

Babylon(2022) メモ

全体として Kevin Brownlow “The Parade’s gone by…” の記述と一致する。

チャールストン禁止や露悪的なハーマン家のパーティーは、ニューヨークや東海岸からの距離を示したかったのか。アウトサイダーが集まってできたコミュニティーとしてのハリウッド。

 

☆コーク・パーティー
アーチ型のホールはBabylon Berlin のモカ・エフティと似ている。またフェイのソロはニコロズと似てもいるが、どちらもこの映画の場合では現代的な表現に置き換わっている。(=「黄金の20年代」への幻想の粉砕)

むしろ from dusk till dawn のドラッグ・パーティーを思い出すほどアメリカ的に見える。(=ヨーロッパ趣味の放逐)

このオープニングの見せ場とも言える群衆ショットはラ・ラ・ランドの someone in the crowd とも重なる。このシーンもbabylon berlinにおける zu asche zu staube と好対照である。ニコロズのソロに合わせモカ・エフティに集まった群衆が歌うシーンは、とりわけメインキャラクターである3人の若者に象徴される、困窮しながらも生きのびようとする未熟なドイツとその人々を描いているが、群衆の一体感とその温かさこそ、このシーンをシーズン中のハイライトにしている要因だろう。一方で、今作の群衆ショットはジェットコースターのようなカメラワークで、毒々しさや危険さに満ちた退廃の方を強く感じさせる。映っている人びとは、見た目も行動もそれぞれ孤立している。群衆概念の捉え方の違いが反映されているように思う。


☆ネリー・ラロイ
細く弓なりの眉・輝く白い肌を度外視したビジュアルは完全に現代の女優だが、20年代のスターの出自やエピソードを示すのに何の不都合もない。声の悪さを理由にお払い箱にされるエピソードはルイーズ・ブルックスを思わせ、下賤な娼婦という出で立ちはキャバレー歌手だったマレーネ・ディートリッヒを思わせる。

一方で、オルガのブルックス・カットやハースト邸でのパーティーで流れている音楽(ラヴェルのパロディ)などは数少ないヨーロッパ要素だが、いずれも面白おかしく茶化して描かれている。


☆恐慌の不在
メインの物語は1926年から始まり1930年代で終わるのにもかかわらず、1929年の世界恐慌について全くというほど触れられていない。

強いて言えば、ジョージの死、映画関係者やマッケイの「良い時代は変わった」という言葉などが恐慌を暗示している。ガソリンスタンドが閉まっていることもその一つかもしれない。


☆露骨な見せ場
ブラピが舞台女優の妻に対して映画の大衆性を説くシーン

エリノアがショー・ビジネスについて語るシーン

マヌエルが『雨に唄えば』を見て映画愛を噛みしめるクライマックス


☆メタ的映画、普遍的映画
映画についての映画、ラ・ラ・ランドの完結編。ララランドはいつどこの話でもありえそうなプロットだった。この映画では、20年代が現代にも繋がっているということによって、時間を超越した物語を展開している。


☆伏線回収(意図的に同じ撮り方をしている)
Jazz Singer とSingin’ in the Rain
エリノアの長台詞「俳優の人気は儚いが、存在の証はいつまでも残る」と te amo のダンスシーン
1926年と1932年の撮影現場(時間のキャプション)
「闇に消える」ネリー

フリークスのテーマ
フェリーニホドロフスキーのような底抜けの明るさはなく、ナイトメア・アリーやエレファント・マンのような厳しい現実を見据えた描き方。


☆Te Amo
小さな建物でのダンスシーン

ベルトルッチ『殺し』のラストやフェリーニ『青春群像』の冒頭に似ている。

 

・少しぼやけたような画質。old filmらしさを出しているのだろうか?

→他のチャゼル作品もよく見てみよう。


・エリノアの長台詞における大衆と家のアナロジーは何を意味しているのか?


・マヌエルが命乞いしてあっさり許されるシーンのフィクション感


・ジャックが最後に出演した「クソみたいな映画」の多幸感

→メイクさんとの会話シーンの陳腐さ

→海岸での撮影は、インフェルノや男性と女性といったサイレント黄金時代の名作を思い出させる。


レビューより
“Ironically, any viewer who gets these references is also likely to notice, and be annoyed by, the film’s historical liberties and pervasive anachronisms.”

“Like the inclusion of clips from Singin’ in the Rain, this sequence feels less like homage than hubris.”

Hooray for Hollywood?: The Mythmaking of Damien Chazelle's "Babylon" MUBI


"We knew we didn't want '20s jazz — it's just familiar," he explains. "We've heard it a million times. It's kind of quaint, it's a little tame. This movie is anything but tame."

"There are no actual quotes from La La Land, but there were certain cues where we were going for a certain feeling, a bittersweet feeling, or a melancholy, that was the same feeling that we were going for there. And I'm the same composer and my musical grammar is the same."

 

“Detailed demos were recorded before the film was shot, played back on set like a musical, then sweetened or manipulated after production.”

モリコーネの映画音楽でも、音楽を背景に流しながら撮影したものがある。