古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

思い出の掃き溜め

文藝部で書いたものを振り返ってあれこれ言ってみようかと思う。

高1の秋から冬にかけて書いた「青い衣」という短編(一人でいっぱいページ数取れないから部誌に載せる文章はぜんぶ短編なんだけど)は結構すき。文章自体が好きというよりも、これを書くきっかけになったこととか、書きながらどんなこと考えてたかとか、美しい(?)思い出が好き。自分の文章はむしろ色々と下手くそだったり思うところあったりで直視できない。もしかしたら自分で書いたものを読むときはいつも、文字を通して、その背景にある楽しかった思い出を見つめてるだけなのかもしれない。

この短編は、バーン=ジョーンズの《廃墟の中の愛》という絵に物語がついてたらどんなんだろうと思って書いた話。バーン=ジョーンズというのはラファエル前派の一員と見なされている画家です。ラファエル前派は、19世紀後半に起きた美術アカデミーから分離して自分たちの芸術を作ろうという動きのイギリス版で、ギリシャ神話やアーサー王伝説、古代から中世にかけてのおとぎ話などをテーマに、幻想的な絵画を描いていたグループ。ラファエル前派は初めこそ反アカデミー色の強いグループだったけど、第2世代、第3世代になるにつれて、むしろアカデミー絵画との親和性を強めていくように見える。(ここのところは不勉強で下手なこと言えないんだけど)テーマも、表面的にはアカデミー絵画と対立するものではないし、アカデミーで仕込まれる精緻なデッサン技術を使って幻想的なイメージを浮かび上がらせているとも言える。そういうグループの一人だったバーン=ジョーンズは、つるっとした肌や整っていて静謐だけれども生気のない表情を持つ人物表現が特徴的。《廃墟の中の愛》は、廃墟になった教会の壁際で寄り添う男女(これまた生気がない人形のような二人)が描かれている。部分的に崩れた壁には植物が絡まり、男女がしゃがんでいる石段を降りると、一面に草が生えている。

この絵に描かれた男女は二人とも顔が真っ白で生気がないんだけど、どちらかというと女の人のほうが生気がない。先に「無表情」と書いて思い浮かんだのが、バーン=ジョーンズは中世美術を念頭において作品制作していたのではないかということ。中世の絵画は、どの人物も無表情で固まったように没個性的に描かれる。人物を特定する必要がある時は、身につけているものなどで違いを出す。(こっちも勉強中の身なので下手なこと言いそうでこわい)バーン=ジョーンズの絵に出てくる人物は、基本的に同じような表情をしてて違いが分からないし、どの絵にも同じような男女が出てくる。もしかしたら彼の反アカデミー性は、中世への憧憬によって説明されるのかもしれない。閑話休題。そんな風に絵を見てたので、女の人が石の彫像になりゆくところに男の人が立ち会っている図、と解釈(妄想とも言う)した。

加えて、これを書いている時、美術の授業で工作の課題が出ていて、その工作物のテーマを大聖堂にしていたのだ。バーン=ジョーンズの作品に描かれた廃墟が大聖堂かどうかは分からないが、私はこれを大聖堂だと思い込んだ。美術の課題を大聖堂という複雑な建築物で作るのはほんとは結構難しいことだったけど、この絵に魅せられてしまって無理やりそのテーマで押し通した。課題のテーマを大聖堂にしてしまう前に、部誌に載せる文章のお題を大聖堂にして発散させておけばよかったというのが正直なところ。

私は怠惰で勉強が嫌いなので大聖堂の下調べを全くせず、妄想の中の大聖堂を露出するだけの描写になってしまった。でもいわゆる時代考証って何のためにするのかというと、フィクションに説得性を持たせるためだ。一方で私は、文藝部を書くという自分の生理現象のために利用しようと決め込んでいた。絶対に読む人のことなんか考えないで好きなこと書くんだと。だから自分だけの大聖堂のイデアを書いたって何の問題もないはず…と思い込んだ。思い込んだはずだけど、内陣が西向きなのに西玄関が裏口だという設定はいくらなんでもおかしいと思うので、これは自分のイデアにも反しているらしい。それでも、書いてた時は楽しくてしょうがなかったし今でも楽しかったなと思い出して楽しくなる。

こういう自然科学の諸法則にとってめちゃくちゃなことばかりを書いていたけれど、一回だけ、計画的に下調べをして書いたものがある。それについてこの次に書こうかな。