古都より

谷崎唐草は京都にやってきました。

谷崎に導かれて

谷崎潤一郎が好きで、デカダンスが好きで、デカダンな映画と文学が大好きで、不毛かつ山のように仕事が湧き上がる生徒会から、そして生徒会と一連托生だった放送部から逃れて、高2の時に映画と文藝部とバレエのために無限に時間を費やす生活をはじめました。高1の時にもすでにたくさん観ていた映画だったけど、本腰入れて映画史にアタックしたのはこの時期だったかと。さらに、文学が読みたい!という欲望が文藝部で強制的に何かを書かねばならない要求と相まって、しかし無限すぎるその森に絶望して、さしあたり読みたいものから読む方針で『アマロ神父の罪』を読んだのは良い思い出です。

 

私は自分の書くものに何か統一性を持たせたかった。そして他の部員との差別化を図ろうとしました。映画を監督単位で見るという作家主義に感化されたのでしょうか。わかりませんが。そうして思い当たったのが、翻訳文学、映画、ヨーロッパというキーワードでした。テーマはいつもヨーロッパっぽいもので、映画から引用した情景を散りばめて、翻訳文学で学んだ文体を使う、ことを旨としていました。

小学生か中学生の頃に宮沢賢治で読書感想文を書いて以来、日本人の小説家をほとんど忌避していたと言ってもよいでしょう、専ら外国文学を読んでいました。考えても詮無いことですが、幼い頃からヨーロッパ趣味に親しんできたせいでしょう。高校受験が終わった日、参考書やノートを片付けて、西陽のあたる部屋でカフカの『流刑地にて』を読んだのを昨日のことのように覚えています。高校受験と言えば、中学生の頃の私の興味と言えばバレエしかありませんでした。自分でもよくあそこまで打ち込んでいたと少々不思議にも思うほど。それでも受験勉強に真剣に取り組むように言われて、言われた通りに勉強していたら、私は勉強以外することがないと気づきました。そんな時に、ふと『ローマの休日』という映画のタイトルが浮かび、これってどんな映画なんだろうという疑問から映画熱が始まりました。受験生にも関わらず、映画をたくさん観たと思います。一つ映画を見ても、それに予告編がついていて、また見たい映画が増えてしまう。高校に入ったら映画をたくさん見るんだと思いながら、重いカバンを背負って30分かかる通学路を走っていた頃を懐かしく思います。

 

文藝部に入った時は、自分でなにかを書くことにあまり乗り気ではありませんでした。ほんとうは図書部に入ればよかったのでしょう、本を読むのが好きなだけなら。でも文藝部の見学に行ったらすごくいい先輩たちがいて、入ってもいいかなと思ってしまった。それに、図書部の先輩に違和感を覚えて、そちらに入るのは躊躇ってしまいました。そうしておそるおそる小説めいたものを書き始めたら、それはなんだかゾラの『制作』みたいなテーマで、制作ってタイトルにしておけばよかったなと今にして思うのです。

 

はてなブログを定期的に読みたいがために会員(?)登録・ブログ開設してしまい、しかも最初に書いたのが自分語りで、楽しくはあるが他のことを書いた方が楽しかったろうと思うと自分なにやってるんだという気持ちです。でも「書くのは楽しい」その気持ちがちょっとでも取り戻せて嬉しいです。そしてこれを書いている間は、どうすれば理想の文学ライフを送ることができるか考えてもいいんじゃないかと思います。そんなこと考えてる間にやれることがあるだろう、そう言われるだろうし自分でもそう思います。でも書いてる間だけは食べずにいられるじゃないですか。過食がそろそろしんどくなって、食べる以外のストレス解消法を探し続けているんです。現実逃避させてほしい。

今までいい感じに書こうと努めていたのに最後がぐちゃぐちゃになってつらいですが、現実が侵食してきたということでもう書くのは終わりにします。